【熱海】サンビーチに立つ釜鳴屋平七像

熱海サンビーチの像は?

天気が良く青空が広がっていたので、サンビーチまで散歩をしてきました。観光客や地元の家族なども出ていていい雰囲気です。南側の階段の上に、男女ペアの像が立っているに気がついたので見に行っってみることに!

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わかりますか?左側に像が立ってます

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像側から見たら iPhoneでパノラマ撮影

サンビーチと熱海湾を見下ろすいい場所に立っています。桜の木の下にあり、春桜が満開になるとそれは美しい風景になりそうです!検索してみると、桜と像の写真がいろいろ出てました。

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昔の青年と女性

上半身ハダカでマゲがゆってある男性と彼に寄り添う女性の銅像です。この像は、文化勲章を受章した熱海市名誉市民である澤田政廣先生の作「釜鳴屋平七夫妻像」です。澤田政廣記さんは熱海で生まれ育ち、木彫刻絵画陶芸版画など様々な作品がある熱海の誇りの芸術家です。来宮神社の先にある熱海梅園の中には澤田政廣記念美術館が多くの作品が展示されているので、そのうち行ってみたいと思います。

(追記)澤田政廣記さんの若い時の作品が、湯前神社の本殿の中に飾られているそうです。地元の方に聞いたのですが、まったく知られてないそうです。また、若い時の作品というのは湯前神社の神事のときにしか見ることができない貴重なものだそうです。普段見れないとなると余計に気になります。

武者小路実篤?!

銅像の下にある銅板をみると、文豪・武者小路実篤の言葉が

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銅板には武者小路実篤の言葉が

安政のころ、釜鳴屋平七はこの浜に起った漁民一気の先頭にたった罪に問われ八丈島へ遠島の途中大島で死んだ 人間平七の無心愛人の足跡が熱海の歴史を語っている

八十五歳 武者小路実篤

純粋無垢な人間が好きな武者小路実篤先生らしいお言葉であります。名前だけでなく、年齢を記するところにも先生らしさを感じてしまいます。武者小路実篤先生は、熱海の老舗洋食店スコットにもよく訪れていて、熱海ゆかりの文豪の一人でもあります。

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義憤に燃えた平七!

さらに隣には、詳細な解説板が熱海市により書かれています。

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解説板「釜鳴屋平七」

 安政の頃、熱海の浜に漁民一揆が起こりました。まぐろ網の権利をめぐり漁民と網元との争いが日を追って激しくなり、こうした事態の中で網元の一人平右衛門の長男釜鳴屋平七は、他の網元たちのひどいやり方に反対し漁民側に同情、網元から脱退、漁民に見方して解決をはかったが、争いは収まりませんでした。このため、平七は漁民二百五十余人と共にムシロ旗を立てて韮山代官所に押しかけ、平七は役人の制止を振り切って代官江川大左衛門に訴状を差し出しました。代表者平七ら七人は捕らえられ、首謀者とみらされた平七は島流しの刑を受け、文久三年十月(1863年)江戸から八丈島送りとなりました。しかし、船中での虐待で衰弱した平七は大島におろされ、十一月四日三十五歳で亡くなりました。漁民たちは平七の遺志をつぎ、長い間苦難の戦いを続け、ようやく勝訴を勝ち取ることができました。星露百余年、今なお大衆の心に生きる義人平七の魂はここに眠っています。

熱海市

平七さんは、なんとも正義感の強い男だったんでしょう!網元の息子だったのに、漁師の味方についてのですから、親兄弟から反対されたでしょうし、代官の仕置にも耐えていたんでしょう。

自分が注目したいのは「まぐろ網」

江戸時代の熱海では、まぐろを取っていたんですね。どのように取っていたのか?

湾内に大きな定置網を仕掛けて、そこに入り込んでくる魚を獲っていたようで、マグロばかりがくるわけではないでしょうが、「まぐろ網」と呼ばれていたんですね。熱海の漁師さんにお会いする機会がありましたら、ちょっと聞いてみようかと思います。

釜鳴屋平七さん、ちゃんと本にもなっていました。ちょっとこれは読んでみたい本です。


追記 あたみ桜と釜鳴屋平七像

2017年1月27日に撮影しました。

あたみ桜と釜鳴屋平七像

あたみ桜と釜鳴屋平七像とサンビーチ

あたみ桜と釜鳴屋平七像

あたみ桜と釜鳴屋平七像 後ろから

あたみ桜と釜鳴屋平七像

あたみ桜と釜鳴屋平七像

桜と釜鳴屋平七、素敵です!!!

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