【映画】考察「なぜ『七人の侍』は世界中で支持されるのか?」

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はじめに

日本映画史を語るうえで欠かせない作品として、黒澤明監督の『七人の侍』(1954年)はあまりにも有名です。公開当時から日本国内だけでなく海外でも高い評価を受け、今なおさまざまな映像作品や作家に影響を与え続けています。なぜこの作品が、時代や国境を越えて多くの人々の心を掴み、その後の映画史にも多大なるインスピレーションを与えたのでしょうか。

本記事では、映画ブログの読者の皆さまに向けて『七人の侍』の魅力をできるだけ包括的に考察してみたいと思います。作品の概要から、制作当時の社会や映画産業の状況、黒澤明監督の演出スタイル、登場人物たちの生き様、そして作品に通底する普遍的なテーマを順を追って見ていきましょう。さらに、その国際的な評価の背景や、「超人的視点」ともいえるスケールの大きさにも触れながら、なぜこの作品が世界中の人々に愛されているのかを掘り下げていきます。

七人の侍

第1章:作品概要と基本情報

1.1 作品データと時代背景

『七人の侍』は1954年に公開されたモノクロ映画で、監督は黒澤明。脚本は黒澤明に加えて橋本忍、小国英雄らが共同で手がけました。撮影監督は中井朝一、美術監督は松山崇、音楽は早坂文雄が担当。撮影期間は長期に及び、当時の日本映画の制作規模では破格ともいえる大作でした。

舞台は戦国時代、度重なる野盗の襲撃に悩まされる農村が舞台です。その農村を守るために浪人侍を雇おうとする農民たちと、それに応じて集まる侍たちの物語。作中では七人の侍それぞれが異なる性格や境遇を持ち、農民たちもまた各々の思惑や不安を抱えています。そんな集合体が一致団結し、野盗に立ち向かう過程が骨太に描き出されます。

1950年代の日本は、戦後の混乱から復興期へと向かう重要な時代でした。映画産業も大きく変動し、人々の娯楽や精神的支柱としての役割を果たしていた時期です。さらに世界的には第二次世界大戦の記憶が鮮明なまま冷戦構造が固まり始め、国際社会が大きな変革を迎えていました。こうした社会情勢の中で生まれた『七人の侍』には、監督が感じていたであろう社会への眼差しや、人間ドラマに込める思いが強く反映されています。

1.2 黒澤明監督という存在

黒澤明は日本を代表する映画監督であり、その作風は海外からも「AK」と称されるほど高い知名度を誇っています。『羅生門』(1950)のヴェネツィア国際映画祭金獅子賞などをきっかけに、一気に国際的な認知度を高めた黒澤監督は、常にストイックなまでに作品に取り組み、その緻密な演出力で知られています。黒澤作品には、人間の原初的な情念や社会に対する批判精神、そして絵画的なビジュアルが特徴的に織り込まれていることが多いです。

『七人の侍』も例外ではなく、構想・脚本・撮影に至るまで徹底したリアリティ追求と、一方で物語としてのエンターテインメント性を最大化する手法が取られました。たとえば、雨や泥、埃などのディテールを活用して「生の戦闘」を描き出し、迫力とともに侍や農民の苦悩を映し出す撮影が行われています。

こうした緻密な演出がなされた背景には、黒澤監督の強烈なリーダーシップと作品に対する大きな情熱があります。役者の演技も、黒澤明ならではの演出方針によって徹底的に鍛えられ、一人ひとりが強烈な存在感を放つことに成功しています。

第2章:ストーリー構成と展開

2.1 三部構成ともいえる物語の流れ

『七人の侍』の物語は大きく分けて三つのパートに整理できます。第一に、侍たちを探し出し、雇う過程。第二に、農村での訓練や備えの段階。第三に、野盗との最終決戦とその後です。上映時間は約3時間半と長尺ではありますが、この三つのパートをしっかりと描ききることでドラマが立体的に構成されています。

  1. 侍を集める段階
    貧しい農民たちは野盗に脅かされ、困り果てます。そこで、侍を雇うという壮大な計画を立て、町へ赴いて人材を探すことに。報酬は僅かな食事程度。お金のない農民の依頼に、はたして侍が応じてくれるのか。ここで出会うのがリーダー格である勘兵衛(演:志村喬)です。彼を中心に、個性豊かな侍たちが続々と集結していきます。
  2. 農村での準備と侍・農民間の葛藤
    侍が7人揃い、農村へ移動してからは、野盗に対抗するための村の防備が施されます。堤を作り、村を守る作戦を練る過程で、農民と侍の価値観や生活習慣の違いが顕在化し、互いに不信感を抱きます。特に、三船敏郎が演じる菊千代という存在は、侍でも農民でもない曖昧な立場から、両者の橋渡しとも対立の種ともなります。やがては、両者が危機感を共有することで協力体制が生まれていくさまが丁寧に描かれます。
  3. 野盗との最終決戦と結末
    いよいよ襲撃に備える侍と農民。一進一退の激闘が続き、雨や泥にまみれた現実的な戦いが生々しく描かれます。命を落とす侍も出てくる中で、最終的に野盗は撃退されるものの、勝利の代償は大きく、最後に勘兵衛が呟く「また、負け戦さよ」という台詞が物語を締めくくります。勝ったのは村であり、侍は負けたという認識が重くのしかかるエンディングです。

このように、仲間集めから共同作業、そして最終決戦へと続く王道的な展開は、多くのジャンル映画に影響を与えました。たとえば、ハリウッド映画『荒野の七人』(1960)は『七人の侍』をほぼ忠実にリメイクしており、ほかにも「集団ヒーローもの」の原点として、世界各国のクリエイターに衝撃を与えています。

2.2 登場人物たちの多層的な描写

『七人の侍』には、勘兵衛をはじめとする侍が7人登場しますが、そのどれもが性格も背景も異なる魅力的な人物です。さらに、農民サイドにも重要なキャラクターが複数配置され、ドラマに深みを与えています。侍と農民、それぞれの価値観の違いを通して人間の尊厳や社会の格差が強く浮かび上がるのも、本作の大きな特徴です。

  • 勘兵衛(志村喬): 経験豊富な浪人侍。冷静沈着ながら、弱者を見捨てられない人間味のあるリーダー。
  • 菊千代(三船敏郎): 血気盛んな自称侍。実は農民出身という複雑な過去を持ち、侍と農民のどちら側にも立ちきれないが、その存在こそが両者を結びつける。
  • 勝四郎(木村功): 若き侍の卵。純粋に侍道に憧れを持つ少年のような存在。
  • 五郎兵衛(稲葉義男)平八(千秋実)など、そのほかの侍たちも個々に見せ場とキャラクター性がはっきりしており、混同することなく最後まで印象に残ります。

さらに農民側でも、長老格の儀作や、若い娘・志乃と勝四郎のロマンスなど、視点が多彩に広がるため、物語を人間群像として見ることができます。どちらにも人間らしさと同時に醜さも描かれており、そこに作品の強いリアリティが生まれています。

第3章:社会性と時代性

3.1 戦後日本の精神性と映画の位置づけ

『七人の侍』が公開された1954年、日本はまだ戦後の影を引きずっていました。敗戦によって武士道的な価値観は否定される一方で、経済復興に向けて国全体が必死に突き進んでいた時代です。映画は庶民にとっての大衆娯楽の中心であり、各映画会社は競うように時代劇やメロドラマ、社会派映画などを量産していました。

黒澤明監督があえて戦国時代を舞台にし、そこに農民と侍というかつての身分制度の枠組みを描いたのは、当時の日本社会が新しい価値観にシフトしつつも、心の奥底に古い制度の影響を残していたことを示唆していると考えられます。つまり、時代劇でありながら同時代(1950年代)の日本人に通じる問題意識—貧富の差や階級の対立—を映し出しているのです。

さらに、『七人の侍』における侍の立場は、単なるエンターテインメントの「かっこいい剣士」としてではなく、「職を失った浪人、つまり社会から取りこぼされた存在」としてのリアリティが強調されています。自らのプライドと現実の貧しさのはざまで葛藤する姿は、当時の社会において、敗戦後に職を失い新たな生き方を模索していた多くの日本人の心情にも重なったのではないでしょうか。

3.2 農民たちの視点と集団の物語

同時に、農民たちの視点も大きくクローズアップされます。元来、時代劇の主人公は侍や武士階級がメインであり、農民は脇役として扱われることが多いものでした。しかし、『七人の侍』ではむしろ農民が物語の立役者であり、村を守るために侍を雇うという逆転の発想が成り立っています。

農民たちは決して理想化されてはいません。侍たちを恐れ、騙し、あるいは救いを求めるがゆえに尊敬と同時に不信を抱くという二面性が色濃く描かれます。しかし、命の危険が迫る状況で徐々に侍たちとの連帯感を強めていく過程は、当時の日本社会が「集団としてのつながり」を強く求めていた状況を映し出しているようにも見えます。

第4章:キャラクター考察と人間ドラマ

4.1 主役級の存在感を持つリーダー・勘兵衛

七人の侍の中心人物である勘兵衛は、経験豊富かつ冷静な判断力を持ち、弱者である農民のために剣を振るう決意を固めます。武士としての誇りはあるものの、決して高圧的ではなく、農民に寄り添う姿勢を見せる。その理由については映画の中で直接的に語られることは少ないものの、長い浪人生活や戦場経験などから得た人生観が大きなウェイトを占めていると推察されます。

勘兵衛は決して「何でもこなせるスーパーヒーロー」ではなく、状況に応じて臨機応変に動き、時には仲間を失い、苦渋の選択を強いられる存在です。最終決戦の後に語る「また、負け戦さよ」という自嘲にも似た台詞からは、社会や時代の大きな変化に翻弄されながら、結局侍は農民を守ったところで自分たちの居場所を得られないという残酷な現実がにじみ出ています。彼の人間的な弱さと強さの同居こそが、『七人の侍』の持つリアリティを際立たせているといえるでしょう。

4.2 底抜けのエネルギーを発散する菊千代

三船敏郎が演じる菊千代は、作中でもっとも印象的なキャラクターの一人です。言動は荒っぽく、酒を飲み散らかして暴れ、侍らしからぬ行動も多々みられます。実は農民出身でありながら侍に憧れ、自分を侍だと偽って一緒に戦おうとする。その背景にあるのは、過酷な封建制度の下で「武士」という身分にある種の理想を見いだしたゆえの行動ともとれます。

しかし、菊千代は侍や農民を区別なく見下すわけでもなく、むしろ時には自分を憎むように振る舞い、時には大笑いして愛嬌を振りまくという複雑な内面を持ち合わせています。この振る舞いが物語の緊張感を緩和しつつも、深い人間性を感じさせるポイントになっています。終盤、農民の赤ん坊を抱きながら嘆きの声をあげるシーンなどは、本作を象徴する名場面の一つであり、菊千代というキャラクターが侍でも農民でもなく「人間としての魂」を持つ存在であることが強調されます。

4.3 青年・勝四郎と恋愛の要素

侍修行中の青年・勝四郎は、映画の中で数少ないロマンティックなパートを担います。勝四郎が農民の娘・志乃と惹かれ合う要素は、作品に純粋さや若さを与え、ある種の未来を象徴していると解釈できます。しかし、侍と農民の身分差は当時としては決して軽視できる問題ではなく、この恋愛模様には悲劇性が伴います。

これは社会制度や身分を超えた絆を模索しようとする若者たちの姿として、当時の観客にとっても新鮮だったのではないでしょうか。戦後日本が新しい価値観を少しずつ受け入れ始めた時代背景とも重なり合い、二人の淡い恋愛は物語の悲壮感の中にも一筋の希望を与える存在となっています。

第5章:演出技法と映像美

5.1 リアリティとエンターテインメントの融合

黒澤明監督の作品は、時代考証やセットに対する異常なまでのこだわりで知られています。『七人の侍』でも、村のセットは実際にロケ地で農作物を育てるなど、徹底したリアリティの追求が行われました。さらに、雨や泥、埃などを効果的に使った戦闘シーンは、観客に戦国時代の過酷さをリアルに体感させると同時に、ドラマの迫力を高める演出としても機能しています。

一方で、黒澤監督は娯楽作品としてのわかりやすさにも配慮しています。たとえば、音楽は作曲家・早坂文雄の手によって、登場人物や場面ごとのトーンを巧みに演出するテーマが設定され、侍の勇壮さや農民の悲哀が音楽的にも明確に区別されます。また、戦闘シーンではテンポよく編集が行われ、長尺映画でありながら退屈さを感じさせません。

5.2 カメラワークと画面構成

黒澤映画の代名詞ともいえるのが、そのダイナミックなカメラワークと構図です。たとえば、大人数のキャラクターが同時に画面内に登場するシーンでは、それぞれの位置関係や動きが美しく整理され、まるで舞台劇のような見応えを持っています。

特に有名なのは、雨の中のクライマックスシーン。雨でぬかるんだ地面を走り回る侍や農民、野盗たちの躍動感がカメラに捉えられ、さらにそれを雨粒が際立たせることでドラマのカタルシスを最大限に引き出しています。黒澤監督は、スローモーションの活用や切り返しショットの明確化など、当時としては革新的な手法を積極的に取り入れました。そうした技法がハリウッドや世界の映画作家たちに影響を与えたことは、映画史を語る上でも重要なポイントとなっています。

5.3 「風」を活かす演出

黒澤映画のもう一つの特徴に、「自然現象をドラマの演出に積極的に組み込む」という点があります。『七人の侍』でも風や雨の表現が頻繁に見られ、風で揺れる木々や髪、衣装の動きが、画面に生き生きとした躍動感をもたらします。黒澤監督はしばしば巨大な風の装置を使って強風を起こし、自然の力を意図的に演出に取り込むことで、登場人物たちの心の動きや戦闘シーンのスリルを視覚的に増幅させていました。

第6章:普遍的テーマと人間の本質

6.1 仲間と連帯感

多くの観客が『七人の侍』に強く惹かれる理由の一つに、「仲間を集めて困難に立ち向かう」という骨太な物語構造があります。これはさまざまな物語ジャンルで繰り返し踏襲されてきた非常に普遍的なモチーフです。たとえば現代の娯楽作品でも、ヒーローチームやアイドルグループなど、個性的なメンバーが集まって力を合わせるストーリーは絶えず人気を博しています。

『七人の侍』では、最初は他人同士だった侍たちや農民たちが、危機という共通課題を前に協力し合い、最後には仲間としての絆を感じるようになります。しかし、その協力関係は完全無欠ではなく、裏切りや不安、過去のしがらみなど、さまざまな要素によって危ういバランスの上に成り立っている。そのリアルさが観客の共感を呼ぶ要因だと考えられます。

6.2 自己犠牲と名誉、そして生存

侍という存在は、一般的には武士道や名誉、忠誠心を重んじるイメージが強調されがちですが、本作では浪人侍たちが報酬もほとんど得られないまま、貧しい農民を守るために命を張るという選択をします。ここには「名誉」や「慈悲」の概念が確かにある一方で、「自分の生きがいを見つけたい」「戦でしか生きてこなかった人生の証明をしたい」といった個人的な欲求や動機も見え隠れします。

最終的に生き残るのは勘兵衛と勝四郎、そして脇役の侍一人の合計三人です。彼らは「また、負け戦さよ」という言葉を残しながら、武士としての誇りを立てつつも結局は何も得ることなく去っていきます。農民たちは稲を植え、村は再生の道を歩み始める一方、侍たちは再び定まらぬ道を進むしかない。このコントラストが、現実の厳しさや社会における弱者・強者の構図を浮き彫りにしています。

6.3 人間同士の相互理解と限界

侍と農民、二つの身分の対立を通じて描かれるのは、人間同士が完全に理解し合うことの難しさです。農民は農民なりのプライドと生活様式があり、侍は侍なりの名誉感や職業倫理があります。互いを蔑視しながらも、一方で助け合わざるを得ない状況に追い込まれ、それが徐々に連帯感を育む。しかし本作のラストで示されるように、その「わかり合えた」状態は非常に脆いもので、侍と農民が共に生きる道は最終的には明確に否定されます。

現代社会においても、人種や民族、社会階層の違いによる軋轢は絶えません。『七人の侍』が世界中で支持される理由として、この「人間相互の理解の難しさと、それを超えようとする試み」の普遍性が大きく作用していると考えられます。

第7章:世界中で愛される理由

7.1 国際的評価のきっかけと影響

黒澤明監督は『羅生門』をきっかけに海外の映画祭で高評価を得ていましたが、『七人の侍』はさらにその評価を確固たるものにしました。1950年代半ばという早い段階で欧米諸国でも上映され、批評家や観客から熱烈な支持を受けます。その後、ジョン・スタージェス監督の『荒野の七人』(1960)としてアメリカ西部劇に翻案されるなど、直接的な影響が顕著に表れました。

『七人の侍』に影響を受けたと公言する著名人は、スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラなど数え切れません。特に「集団ヒーロー」や「用心棒を雇って村を守る」という構造は、ハリウッドのアクション映画やスペースオペラなどにも広く受け継がれています。

7.2 普遍的な物語構造とアクション要素

海外の観客にとって、侍や農民という存在は馴染みが薄いかもしれません。しかし、前述の通り「弱い立場の人々が、少数精鋭の強き者を雇って悪に立ち向かう」という物語は、どの文化圏でも理解しやすい勧善懲悪的な要素を含んでいます。さらにアクションシーンの迫力や、キャラクター同士のコミカルで人間臭いやり取りなど、娯楽性の高さもグローバルに受け入れられる要因と言えます。

また、侍が持つ「名誉」「誇り」「義理」といった概念は、西洋における騎士道や武士道に通じる部分があり、文化的な垣根を越えて共感を呼ぶポイントでもあります。ヨーロッパの古典文学に登場する騎士と、武士の存在には類似点が多く、戦士階級としての宿命や倫理観の在り方に国境を超えたシンパシーを感じる人が多かったのではないでしょうか。

7.3 スタイルの斬新さと完成度

映像表現の側面でも、『七人の侍』は世界を驚かせました。雨や泥を使った臨場感あふれるアクションシーンや、複数のカメラを同時に回す撮影手法、メリハリのある編集など、当時の欧米にはあまり見られなかったダイナミックな手法が取り入れられていたからです。これらの革新性が映画作家や評論家を刺激し、「日本映画にはこんなすごいものがあるのか」という衝撃を与えました。

さらに、長尺の映画でありながらストーリー展開が飽きさせず、観客を引き込む脚本構成のうまさも見逃せません。キャラクターの紹介、村の防衛準備、合戦と、物語の「山と谷」を十分に作り込むことで、観る者に強烈な印象を残します。こうした高い完成度は、国境や文化の違いを超えて「映画としての純粋な面白さ」を保証しており、多様な観客に支持される理由の一つとなっています。

第8章:超人的視点と作品のスケール

8.1 戦国時代を俯瞰する視点

『七人の侍』には、戦国時代という混沌とした社会をある種の「俯瞰的視点」で捉える試みが見受けられます。侍としては落ちこぼれてしまった浪人たちが、孤立した農村の危機に対してどう行動するかを描くことで、社会の構造的な欠陥—戦が絶えず、安定して暮らすことが難しい時代—を浮き彫りにしているのです。

このように、個々のキャラクターの行動原理が社会の在り方と直結している点に、『七人の侍』の深い社会批評が込められています。当時、日本だけでなく世界全体が第二次世界大戦後の不安定な国際情勢に苦しんでおり、その混乱する世相を戦国時代に投影させたとも解釈できるでしょう。

8.2 大河ドラマ的スケールと人間の小ささ

映像的にも物語的にも『七人の侍』は大河ドラマ的なスケール感を持ちますが、その一方で、登場人物たちは決して巨大な権力や魔法の力などを持っているわけではありません。彼らは一個の小さな命を持った人間として、村を守るか守らないか、飢えをしのぐかしのがないか、といったレベルの問題に必死に取り組みます。

こうした「大きな時代のうねりの中での個々の葛藤」という視点は、今を生きる私たちにも強いインスピレーションを与えます。現代社会もまたグローバル化や政治・経済の変動が激しく、一人の人間の力でどうにもならない状況が頻繁に起こります。『七人の侍』における侍と農民の行動は、そうした混乱の中で自分たちの生きる意味を見つけようとする普遍的な姿とも重なります。

8.3 神の視点ではなく人間の視点

戦国時代の映画というと、大名や武将、合戦絵巻のような大規模な戦争シーンが中心になるイメージがあるかもしれません。しかし、『七人の侍』はそうではなく、村の攻防にフォーカスし、戦国の世を庶民や浪人の目線で捉えた作品です。これは、戦国史を俯瞰する「神の視点」からではなく、あくまで人間の視点から世界を観察していることを意味します。だからこそ、私たち観客も登場人物に強い共感を抱き、彼らの喜怒哀楽に引き込まれていくのです。

第9章:作品の後世への影響と類似作品

9.1 ハリウッドへの直接的影響

先述のとおり『七人の侍』は『荒野の七人』としてハリウッド映画にリメイクされ、さらにその後も数多くの模倣作やオマージュ作品が生まれました。西部劇の形式に侍の物語を翻案するという実験は大成功を収め、以後「少人数のヒーローが集団を守る」というストーリーテンプレートはアクション映画や冒険映画の定番となりました。

例えばスター・ウォーズシリーズにおいても、ジョージ・ルーカス自身が黒澤監督に大きな影響を受けたことを公言しており、『新たなる希望』(1977)には『隠し砦の三悪人』(1958)の構成が取り入れられているとされます。しかし、同時に『七人の侍』の「寄せ集めの仲間が困難に立ち向かう」ストーリーラインなどもさまざまな形で反映されていると考えられます。

9.2 日本国内での評価と継承

日本国内でも、時代劇から現代劇に至るまで『七人の侍』のエッセンスが生き続けています。たとえばテレビドラマでの群像劇や、アニメ作品における「仲間を募ってボスを倒す」という定番展開など、数え切れないほど多くのオマージュが散りばめられています。黒澤監督が確立した一連の演出技法やストーリーテリングは、多くの日本人クリエイターにとって教科書的な存在となっているのです。

さらに、日本映画の枠を越えて海外合作や国際共同制作においても、『七人の侍』のように「人間の普遍性」を描くアプローチが尊重される傾向があります。単なる娯楽にとどまらず、社会性や時代性を作品に落とし込むことは、映画を芸術として高める大きな手段でもあると言えるでしょう。

第10章:まとめと再評価

『七人の侍』がなぜ世界中で支持されるのか、その理由を振り返ると以下のポイントが浮かび上がります。

  1. ストーリーの普遍性
    「弱者を助けるために少数精鋭が立ち上がる」というわかりやすい物語構造は、どの文化圏でも受け入れやすい魅力を持っています。ヒーロー映画の原型ともいえるこの構造は、現代に至るまで数多くの作品の基礎となっています。
  2. 強烈なキャラクター造形
    勘兵衛や菊千代をはじめとする侍たち、そして農民たちも含めて多彩で立体的な人物が登場します。それぞれの動機や背景が丁寧に描かれ、人間ドラマとして奥行きがあります。
  3. 黒澤明監督の演出力
    リアリティを追求しつつもエンターテインメントとしての魅力も損なわないバランス感覚、ダイナミックなカメラワーク、音楽や編集を駆使したテンポの良い演出など、映画表現の完成度の高さは時代を超えた評価を受けています。
  4. 社会性と時代性の融合
    戦国時代を舞台にしながらも、貧困や差別、身分制度などの社会的テーマを強く描き、戦後日本の不安定な空気を反映していると同時に、普遍的な課題として観客に訴えかける力を持っています。
  5. 国際的インスピレーション
    ハリウッド作品をはじめ、世界中の映画監督やクリエイターに影響を与え続けてきた実績が示すように、その物語や映像技術、演出手法は映画史における金字塔として広く認められています。

こうした要素が絡み合い、『七人の侍』は単なる「時代劇」の枠を大きく超えて、多くの人々に愛される名作として確固たる地位を築いてきました。公開から70年近くが経過した今でも、その魅力はまったく色あせることがありません。むしろ現代の視点で観るからこそ、作品に込められたテーマや人間描写の深みがいっそう鮮明に感じられます。

最後にあらためて、『七人の侍』という作品が問いかける「人間同士の相互理解」「社会構造の不条理」「命をかける意義」は、現代社会でも私たちに問いかけてくる問題ではないでしょうか。戦国時代という古い時代設定でありながら、そこにはどこか今を生きる私たちに通じる普遍的なメッセージが宿っています。だからこそ、『七人の侍』は世界中の人々に支持され、その精神性とドラマの奥行きは未来へと継承されていくのです。

皆さんも機会があれば、改めて『七人の侍』をご覧になってみてください。初見の方はもちろん、すでに観たことのある方も、時代背景やキャラクターの内面に目を向けると、新しい発見がきっとあることでしょう。そして黒澤明監督が作り上げた世界が、いかに広範な意味を持つかを再確認することができるはずです。

七人の侍

参考文献・関連情報

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