【映画】考察『X エックス』(2022) 監督:タイ・ウェスト

X エックス [Blu-Ray]

X エックス [Blu-Ray]

「青春と肉体の活力」「老いへの恐れ」「性と暴力」。映画『X エックス』(2022)を観終わった直後、私がまず感じたのは、この三つのテーマが複雑に絡み合う妙な後味の残る感覚でした。一見するとただの“セクシー・スラッシャー”に思えますが、じわりと胸の奥に広がるのは、どこかノスタルジックな哀愁と、不穏な狂気が織り成す“ざわつき”のようなもの。そしてその“ざわつき”は、作品が映す欲望や老い、あるいは死への恐怖と不可分であるように感じられるのです。血みどろの猟奇性と、大胆なセックス描写ばかりが話題になりがちな本作ですが、その背後に潜む人間の深層心理こそが真の見どころと言えるでしょう。
Amazonプライムビデオ『Xエックス』(吹替版)

X エックス

ストーリー

舞台は1979年、アメリカ・テキサス州の片田舎。ポルノ映画の撮影を夢見る若い仲間たちが、広大な農場の離れを借りて自主製作に乗り出す。彼らが選んだ撮影場所は、老夫婦(ハワードとパール)の住む古い家屋の敷地内で、なんとも不気味な雰囲気を漂わせている。撮影をスタートし、当初は刺激的で退廃的な冒険に盛り上がる若者たち。しかしそこに住む老夫婦は、不穏な眼差しで彼らを見つめていた。夜が更けるにつれ、予兆はやがて現実の血にまみれた惨劇へと姿を変え、若者たちの“熱狂的な計画”は悲劇の連鎖へと突き進むことになる——。

●キャスト
ミア・ゴス
ジェナ・オルテガ
ブリタニー・スノウ
スコット・メスカディ(キッド・カディ)
マーティン・ヘンダーソン
オーウェン・キャンベル
スティーヴン・ユーレ

●スタッフ
監督・脚本:タイ・ウェスト
製作:ジェイソン・ブラム、ジェレミー・ドーソン ほか
撮影監督:エリオット・ロケット
編集:タイ・ウェスト
音楽:タイラー・ベイツ、チェルシー・ウルフ
配給:A24

作品概要と監督の略歴

本作『X エックス』は、インディペンデント系スタジオA24から配給されたホラー映画であり、監督・脚本を務めるタイ・ウェストの新作として大きな話題を呼びました。タイ・ウェストはインディホラーの旗手として知られ、『サクラメント 死の楽園』(2013)や『ハウス・オブ・ザ・デビル』(2009)などを手がけ、低予算ながらもクラシカルなホラーの手法を巧みに復活させることで注目を集めてきました。特に『ハウス・オブ・ザ・デビル』では1980年代スラッシャーのテイストを再現しつつ、じわじわと不穏な空気を高める演出手腕が評価され、タイ・ウェストは“ホラー・ファンから絶大な信頼を得る監督”として認知され始めたのです。

『X エックス』においても、ウェストがこれまで培ってきたクラシック・ホラーの文法を継承しつつ、より生々しく刺激的な描写に挑戦しているのが大きな特徴です。同時に、近年のホラー映画が注目する“社会的テーマ”もしっかりと内包しており、単に「昔ながらのスラッシャー映画をリバイバルする」だけにとどまらない意欲作となっています。

ストーリー:欲望と老いの対立軸

物語の中心にあるのは、ポルノ映画の製作という刺激的な題材と、“若さ”と“老い”の対照性です。若者たちは自分たちの肉体的魅力とセックスアピールに全幅の自信を持ち、その解放感を武器にして世に出ようとする。特にミア・ゴス演じるマキシーンは、“スターになりたい”という野心を隠さず、ポジティブに未来を切り拓こうとしています。一方で、老夫婦のパールとハワードは、かつて失われた活力や情熱を取り戻せないという無念さを抱え、そこに強い嫉妬や渇望を孕んでいます。

この相反する欲望が、やがて猟奇的な暴力に転化していく構造は単純かつわかりやすいのですが、そこに「老いへの恐怖」や「性の解放と抑圧」というテーマが重なることで、作品自体が一種の心理劇としても機能しているのが興味深い。加齢による肉体の衰えをリアルに表現する老夫婦の姿は、若者たちのエネルギーを鮮やかに引き立てると同時に、「人は必ず老いに直面する」という普遍的な死生観を観客に突きつけます。

テーマ:セックス、暴力、そして死の影

本作のテーマを一言で言い表すのは難しいのですが、“セックス”と“暴力”が表裏一体の衝動として描かれている点が特筆されます。ポルノ撮影という行為が「性の快楽」や「自己実現」を象徴する一方、老夫婦による暴力はそこへ“死”という絶対的な負の要素を叩きつける。愛欲がピークに達した瞬間、そこに忍び寄るのは“終焉”の恐怖なのかもしれません。

さらに、1970年代の保守的な価値観や宗教的な背景が幾度となく示唆されるのもポイントです。映画の冒頭とラストには、牧師の説教がテレビ放送されており、“罪”や“堕落”に対する断罪が強調される。一見すると軽薄な欲望に身を投じる若者たちが制裁を受けるかのようにも見えますが、実際には観客は老夫婦の“歪んだ欲望”を目撃し、“性の解放”に対して“老い”や“保守性”がもたらす狂気を観ることになります。この逆説的構図が、作品に独特の不快感と恐怖を生み出しているのです。

70年代スラッシャーへのオマージュ

タイ・ウェスト作品の魅力は、とにかく“古き良き時代のホラー演出”を愛情深く継承する点にあります。『X エックス』は1970年代後半の空気感を徹底的に再現しており、粒子感のある映像やレトロな色彩設計、シネマスコープの横長画面が当時のグラインドハウス映画を彷彿とさせます。そこには『悪魔のいけにえ』(1974)や『ラスト・ハウス・オン・ザ・レフト』(1972)といった、いわゆる“ニュー・ホラー”や“エクスプロイテーション・ホラー”のエッセンスが散りばめられているのです。

また、タイ・ウェスト監督は編集も手がけており、クラシカルなスラッシャー手法を現代的なテンポで再構成しているのがうかがえます。殺戮シーンのグロテスクな見せ方は、レトロ感と生々しさを両立させる絶妙なバランスで、観客に「懐かしさ」と「新鮮な恐怖」を同時に突きつけてきます。単にノスタルジーに浸るだけではなく、A24流の美学をも内包した映像作りが『X エックス』の特徴と言ってよいでしょう。

スポンサーリンク
レクタングル(大)

映画史のなかでの位置づけ

A24が牽引するスラッシャー復興

近年、ホラー映画界ではA24というスタジオが数々の個性的な作品を生み出し、“エレベーテッドホラー”という新しい潮流を牽引してきました。その一方で、A24は『X エックス』のような、より直接的な“スラッシャー”や“エクスプロイテーション”の系譜にも再び光を当てています。たとえば『ヘレディタリー/継承』(2018)や『ミッドサマー』(2019)のような心理的恐怖とは異なり、『X エックス』は“身体的・直接的な残酷描写”を正面から見せるタイプ。そこが昨今のA24作品の中でも異彩を放っています。

しかしながら、ただ過激な映像を見せるだけでなく“心理的・社会的テーマ”も併せ持っている点が、“A24らしいエッジの効いた作品”として位置づけられる理由です。“老いの悲哀”や“性的自己表現の解放”といった要素は、スラッシャーの中にさりげなく組み込まれ、ホラーというジャンルを超えて多角的な視座を与えてくれます。そういう意味では、A24が時代に合わせて“ホラーの文脈”をアップデートしている好例とも言えるでしょう。

1970年代ホラーへの敬意と再解釈

『X エックス』を理解するうえで避けて通れないのが、“1970年代ホラー”への言及です。タイ・ウェスト自身、インタビューなどで『悪魔のいけにえ』などの70年代低予算ホラーへのオマージュを語っており、本作にはそのエッセンスが色濃く反映されています。特に、テキサスの灼けつく大地と、閉鎖的な農場に潜む狂気という図式は、『悪魔のいけにえ』を連想させずにはいられません。

ただし『X エックス』は、あの時代の残酷描写やカルト的風合いをそのまま真似るだけではなく、2020年代ならではの“多様性”や“ジェンダー観”を忍ばせることで、新しい価値観を付加しています。70年代ホラーにおいてはヒッピー文化の終焉やベトナム戦争など、当時の社会情勢が影を落としていましたが、本作が射程に入れているのは、自由な性意識やメディアビジネス、あるいは高齢化社会といった現代的課題。こうした時代のずれを巧みに利用しながら、監督は70年代の空気感と21世紀の問題意識を交錯させているのです。

“エレベーテッドホラー”とエクスプロイテーションの狭間

ホラー映画史の流れを見れば、“エクスプロイテーション”映画は、低予算・過激描写・タブーへの挑戦などを武器に、一部の熱狂的ファンに支えられてきました。一方、A24をはじめとする近年の“エレベーテッドホラー”は、社会的テーマや芸術性を前面に打ち出し、“ホラーもまた高尚な映画表現になり得る”ことを訴えてきました。この二つは一見すると相容れないようにも見えます。

ところが『X エックス』は、そのあいだを狡猾に漂うことに成功しています。過激な殺戮と性描写が、明らかにエクスプロイテーション的快楽を生み出す一方で、“老い”という普遍的な恐怖や、“性的自己表現”への抑圧と解放の対立が示す社会性は、エレベーテッドホラーが好む哲学的問答にも通じるところがあります。低俗か高尚か——そのどちらかに安直に傾かない絶妙なバランスこそが、タイ・ウェストの個性であり、本作の独特な地位を確立している要因と言えるでしょう。

タイ・ウェスト作品の一貫性

タイ・ウェストはホラー・ジャンルのなかでも、過度なジャンプスケアに頼らず、時間をかけて不穏な空気を醸成する演出を得意とすることで知られています。『X エックス』でも、冒頭からすぐに血みどろの惨殺を展開するのではなく、ポルノ映画撮影という“不穏なワクワク感”を丹念に描写し、そこから徐々に狂気がにじみ出してくる構成をとっています。この“じわじわ来る恐怖”を大切にする点は、ウェストの過去作にも一貫して見られるスタイルです。

さらに、彼の作品世界には、ノスタルジックな時代設定や、家族/共同体/宗教などの不気味な一面への着目が特徴的に表れます。『ハウス・オブ・ザ・デビル』では80年代風の悪魔崇拝カルチャーやベビーシッターの恐怖を、『サクラメント 死の楽園』ではカルト宗教団体の集団狂気を、それぞれ過去のホラー的文脈を使いながら新しい視点で描き出しました。『X エックス』はそれらの集大成のようにも見え、クラシカルなスラッシャーの顔を持ちながら、社会的テーマを抉るという“ウェスト流ホラー”の完成度を高めています。

ヒーロージャーニーとの比較

通常の英雄譚との相違点

ジョセフ・キャンベルやクリストファー・ヴォグラーが提唱する“ヒーローズ・ジャーニー”とは、主人公が異世界へと旅立ち、試練を乗り越えて成長し、最後には新たな知恵や力を獲得して帰還するという構造を指します。しかし『X エックス』において、登場人物たちの旅は“危険を犯して挑む自主映画製作”という形で始まりこそすれ、そこで待ち受けるのは“試練による成長”よりも“生き残れるかどうか”のサバイバルです。いわゆる一般的な英雄譚のように、最終的に精神的・道徳的な高みに到達するストーリーラインとは大きく異なります。

自己実現と生存本能の交錯

その一方で、「スターになりたい」という欲望を抱くマキシーン(ミア・ゴス)の存在は、ある種の“自己実現”を求めるヒロインとして描かれています。彼女はリスクを承知でポルノ映画製作に参加し、そこに人生の大きなチャンスを見いだそうとする。これはヒーローズ・ジャーニーの「旅立ち」にも近いモチーフです。しかしホラー映画という枠組みの中では、夢の実現よりも“生き残る”ことが第一義になってしまう。結局、英雄譚の“勝利と啓示”は、“血塗れの地獄”をくぐり抜けたあとの“空虚な生存”へと変容してしまうのです。

こうした構造は、ホラーがしばしば抱える逆説的な要素と言えます。つまり、恐怖と戦う主人公たちが、内面的な成長よりもまず“被害を免れる”という現実的課題に追われる。『X エックス』はその極端な例であり、ヒーローズ・ジャーニーの美しい円環構造をバラバラに砕くような暴力的カタルシスが見どころとなっているのです。

変容する女性像

ホラー映画においては、“ファイナル・ガール”という概念があり、たいていのスラッシャー映画では最後に生き残るのが“性的には保守的”あるいは“道徳的に純粋”な女性であるという批評理論が存在します。しかし『X エックス』の場合、主人公であるマキシーンは性的に奔放で野心的。彼女はポルノ撮影に積極的でありながら、最後まで自らの意志を貫いて生き延びるキャラクターです。これは過去のスラッシャー映画の図式を転倒させるもので、ヒーローズ・ジャーニーが想定する“高潔な目的”や“精神的純粋さ”よりも、“自己肯定”や“欲望の肯定”が強調されていると言えるでしょう。

この“欲望の肯定”が生存へのエネルギーにも直結していることは、ヒーローズ・ジャーニーとは異なる価値観を提示する興味深い事例です。すなわち、“清廉さ”ではなく“欲望や野心を晒け出す”ことが、時には“生き残るための原動力”となる。こうした意味で、マキシーンは“新しいタイプのファイナル・ガール”であり、ホラー映画の女性像をさらにアップデートする存在だと言えるのではないでしょうか。

X エックス

X エックス [Blu-Ray]

まとめ

ホラー映画はしばしば、性と暴力、死の影という刺激の強いテーマを取り上げることで、観客に“見る/見たくない”の相反する感情を強く呼び起こしてきました。『X エックス』は、この“見たくないけど見てしまう”感覚を、1970年代風のスラッシャー演出で手堅く包み込みながら、同時に現代社会が抱える“老い”や“承認欲求”といった問題を精巧に織り込んでいます。ひとつひとつの殺戮シーンやセックス描写は露骨ですが、その背後にある不穏な問いかけは、意外なほど深く観客の意識を揺さぶります。

映画史の観点では、A24によるホラーの多様化や、タイ・ウェストのノスタルジックかつ実験的なアプローチが際立ち、“エレベーテッド”か“エクスプロイテーション”かという二項対立を超える新たなホラーの位相が感じられる作品と言えます。過去のスラッシャー映画へのオマージュを惜しみなく放ちつつ、今の時代に通じる社会的テーマを肉付けし、ヒーロージャーニーのような“王道成長譚”を大胆に解体してみせた点が、『X エックス』ならではの刺激となっているのです。

そして何より、観終わったあとに湧き上がるのは、かき立てられた欲望と死の恐怖がどこか“私たち自身の日常”と地続きであるようなリアリティです。若さは永遠ではなく、老いに対する不安や嫉妬は誰しも抱え得る。ポルノ撮影という非日常的行為の一方で、そこに凝縮された夢や絶望は、決してフィクションの世界だけのものではない。だからこそ本作は、ホラー映画の定型的快楽を提供しつつも、“人間の本質や社会の暗部”を垣間見せる不穏な鋭利さを放っているのでしょう。

映像製作者やファンの目線で言えば、この『X エックス』は、すでにクラシカルなホラーやスラッシャーを一通り観てきた視聴者にも新鮮な驚きと興奮を与える作品です。さらに、そこに社会的・心理的テーマが複層的に絡み合うことで、単なる残酷ショーにとどまらない豊潤な読み解きが可能となっています。タイ・ウェストが築き上げてきたフィルモグラフィの集大成でもあり、A24が提示する“ホラーの最先端”を実感する上でも、観逃せない一本と言えるでしょう。

作品考察『X エックス』――若さが放つきらめきは、いつか必ず終わりを迎える。その当たり前の真理が、この映画の血みどろの画面を通して、まざまざと突きつけられる感覚。観客はその“老い”や“衰え”にまつわる絶望を、嫌でも意識させられます。しかし同時に、そこには“生きている今この瞬間を最高に輝かせたい”という肯定感も見て取れる。極度に惨い運命と眩い若さ――この対照が生む残酷なコントラストが、『X エックス』という作品の根幹を支えているのではないでしょうか。おぞましさと切なさ、そのどちらもにじむ怪作だからこそ、長く語り継がれ、ホラー映画史の中でも特異な位置を占める存在になるに違いありません。

Amazonプライムビデオ『Xエックス』(吹替版)

スポンサーリンク
レクタングル(大)