映画史を語るうえで、スティーブン・スピルバーグのフィルモグラフィーは外せない存在です。その中でも1982年に公開された『E.T.』は、ファンタジーと日常描写を融合させた革新的な作品として、世界中の人々に衝撃と感動を与えました。異星人と少年の交流を描くストーリーは子供から大人まで幅広い層の心をつかみ、まさに「スピルバーグの魔法」と呼ぶにふさわしい現象を巻き起こしたのです。そしてこの年に10歳前後だった、1972年生まれの映画ファンや後にプロデューサーとなる自分のような人々にとっては、生涯忘れ得ぬ“映画体験”として心に焼き付いている。
まず作品の概要およびストーリーを整理しながら、『E.T.』が当時の観客に与えた衝撃や映画史的意義を考察していきます。また公開当時、日本を含む世界各国で起こった社会現象やスピルバーグが築いた演出上の革新性を掘り下げ、最後に少年と異星人の物語に込められた普遍的なテーマを探ってみたいと思います。当時をリアルタイムで経験した視点で、その“原体験”がいかに大きなインパクトを与えたのかにも触れていきます。
Contents
ストーリー
カリフォルニア郊外の住宅地に住む少年エリオット(ヘンリー・トーマス)は、ある夜、家の裏庭で不思議な生き物と出会う。宇宙船から置き去りにされた小さな異星人は、その大きな瞳でエリオットを見つめるが、言葉は通じない。エリオットはその異星人をこっそり家の中にかくまい、“E.T.”と名付けて世話をする。やがてエリオットの姉兄であるガーティ(ドリュー・バリモア)とマイケル(ロバート・マクノートン)もE.T.の存在を知り、三人だけの秘密の友だちとして交流を深めていく。
しかし、E.T.は故郷の星に帰りたいという強い思いを抱えていた。一方で、大人たち——エリオットの母や政府の科学者たちはE.T.の存在に気づき始め、事態は急転。E.T.は身体の変調を来たしてしまう。果たしてE.T.はエリオットたちの助けを借りて無事に宇宙船と再会し、地球を去ることができるのか。少年と異星人の心温まる物語は、友情や家族愛、そして“異なる存在への理解”を問いかけながらクライマックスへと進む。
キャスト
- エリオット: ヘンリー・トーマス
本作の主人公となる少年。孤独感を抱えながらも純粋な心を持ち、E.T.と真っ先に絆を結ぶ。 - ガーティ: ドリュー・バリモア
エリオットの妹。幼いながらもしっかりとした好奇心と明るい性格で、E.T.との交流を手助けする。 - マイケル: ロバート・マクノートン
エリオットの兄。はじめは半信半疑だったが、E.T.の存在を認め、兄としてエリオットをサポートしていく。 - 母親(メアリー): ディー・ウォレス
夫(エリオットたちの父)が家を出てしまった後、母親として家族を支えている。E.T.の存在にはなかなか気づかない。 - “キー”の男(政府のエージェント): ピーター・コヨーテ
E.T.を捜索し、その正体を突き止めようとする大人の象徴的存在。劇中では「キー」しか映らない象徴的な演出がされた。
スタッフ
- 監督: スティーブン・スピルバーグ
- 製作: キャスリーン・ケネディ、スティーブン・スピルバーグ
- 脚本: メリッサ・マシスン
- 音楽: ジョン・ウィリアムズ
- 撮影: アラン・ダヴィオ
- 特殊効果: カルロ・ランバルディ(E.T.のデザイン・操作)
- 配給: ユニバーサル・ピクチャーズ
特筆すべきはスティーブン・スピルバーグと脚本家メリッサ・マシスンのコラボレーションです。スピルバーグの子供時代の孤独感や想像力が作品テーマに大きく反映され、メリッサ・マシスンのあたたかいタッチのシナリオと融合することで、優しさと冒険心が同居した物語が完成しました。また音楽のジョン・ウィリアムズは、『スター・ウォーズ』や『ジョーズ』『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』などでスピルバーグやジョージ・ルーカスとコンビを組んだことで知られ、本作でも一気にファンタジーの世界へ引き込む象徴的なスコアを提供しています。
作品概要と監督の略歴
『E.T.』は1982年、スティーブン・スピルバーグが監督し、ユニバーサル・ピクチャーズが配給したファンタジー/SF映画です。公開当初から口コミで大人・子供を問わず多くの観客の心をつかみ、全世界で大ヒットを記録。最終的には当時の世界興行収入記録を塗り替え、長らく“史上最高の興行収入”を保持したほどの社会現象に発展しました。
スティーブン・スピルバーグは、1970年代初頭からテレビ映画や『激突!』(1971)といった作品で才能を示し、『ジョーズ』(1975)の大成功で一躍ハリウッドの注目株となりました。続く『未知との遭遇』(1977)や『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』(1981)などを経て、子供の視点とSF的なファンタジー要素の融合を極めた作品として完成させたのが『E.T.』だったと言えます。
スピルバーグ自身が子供時代に抱いた空想や、両親の離婚による孤独感などのパーソナルな体験が、本作のテーマ構築に大きく寄与しています。いわば『E.T.』はスピルバーグの原点的想像力が結晶化した作品でもあり、その後のフィルモグラフィーにも“子供の冒険心と大人の現実世界の交錯”というモチーフが色濃く受け継がれていきました。
当時の社会的インパクトと当時の思い出
アメリカ国内の熱狂
1982年6月に全米公開された『E.T.』は、夏休みシーズンに合わせて大々的な宣伝を行い、あっという間に大ヒットを記録。特に子供たちの間で「E.T.のまねをする」「E.T.とエリオットが自転車で空を飛ぶシーンを再現する」など、映画のワンシーンが日常会話や遊びのモチーフになるほどのブームを巻き起こしました。E.T.のキャラクターグッズや関連商品の売上も急増し、ぬいぐるみ、フィギュア、絵本などが軒並み品薄状態になるなど、社会現象化したのです。
このブームを最も熱く体感したのが、当時子供だった私たちの世代です。1972年生まれであれば、公開年の1982年には10歳。ちょうど少年エリオットの年齢に近く、より物語に感情移入しやすかったのです。そのような子供たちは、映画館でE.T.を目撃した後、友達と「E.T.ごっこ」をしたり、自転車に乗りながら「空に飛んでいけそう」だと想像して遊んだりと、作品の世界を日常で再現しようとする体験を共有しました。モトクロスのバイクが売れ過ぎて、購入うできませんでした・・・。それは単に映画鑑賞の枠を超え、空想と現実が入り混じるファンタジーの世界を感じられる、強烈なカルチャー体験だったのです。
日本でのE.T.ブーム
日本では1982年12月に封切られ、正月映画として幅広い世代を巻き込む形で大ヒットしました。それまでにもスピルバーグの名前は『ジョーズ』や『レイダース』で知られていましたが、やはり子供向けにも強くアピールする内容である『E.T.』によって、「スピルバーグ=夢と冒険の創造主」というイメージが決定的になったといえます。
当時、日本ではテレビCMや映画雑誌、少年向け雑誌、そして文房具からお菓子まで、あらゆる場面でE.T.のキャラクターが登場するようになりました。とりわけE.T.が指をかざして「E.T.、オウチ、デンワ…」といったフレーズで“電話”を求めるシーンは有名で、子供たちは家のプラスチック電話やおもちゃの電話を手に、同じセリフを真似するという一大ムーブメントが起きます。やがて1983年以降に至るまで社会現象となり、テレビ特番や関連書籍、グッズ企画が次々と打ち出されるほどの人気ぶりでした。
この頃に映画のインパクトを受けた子供たちが、後にクリエイティブ業界やエンターテインメント業界へ進むケースも少なくありません。「自分の原点は『E.T.』を見た瞬間」、子供のころに受けた鮮烈な映画体験が、その後の人生とキャリアに大きく影響する例は数え切れないほどあります。特に映像業界では「スピルバーグに憧れて映画制作を志した」という声が数多く聞かれます。
“指を合わせる”イメージと感情の共有
『E.T.』で象徴的なシーンといえば、エリオットとE.T.が指先を触れ合う場面です。この“指と指を合わせる”モチーフは、その後の映画宣伝ポスターやグッズデザイン、さらにはパロディにまで多用されるようになりました。このモチーフは「異なる存在との心のつながり」という本作の根本的テーマを表し、当時子供だった世代にとっては「相手を理解しようとする姿勢」の大切さを学ぶきっかけにもなったと言われます。
E.T.の心拍や感情がエリオットにリンクして伝わる描写は、一種のテレパシー的手法が取り入れられています。子供ながらに「自分もそんなふうに友だちやペットと気持ちを共有できたらいいのに」と共感することで、映画のファンタジー世界がさらに身近に感じられたはずです。
ストーリー構造とその魅力
子供の視点によるファンタジーの創造
『E.T.』では、あえて“子供の視点”を中心に据えるという演出手法がとられています。前半では大人の顔がなかなか映し出されない、あるいは“キー”の男の視点だけが象徴的に描かれるなど、大人たちがあたかも背景か脅威のように見える構成です。こうした手法によって、観客は自然とエリオットをはじめとする子供たちの視点で物語を追体験することになります。子供の視点ゆえに世界が広がって見え、ちょっとした出来事も大きな冒険につながる。その感覚がファンタジー性を一段と引き立てるわけです。
隣人としての異星人
映画の中でE.T.は、決して脅威や敵意を持った存在ではなく、むしろ“助けを必要とする友だち”として描かれます。これは当時のSF映画に多かった「地球侵略モノ」とは大きく異なる発想でした。エリオットとE.T.は言語の壁を超えて心を通わせ、共に笑い、悲しむ。その姿が“人間と異なる存在”に対する可能性を提示し、観客の胸を打つ普遍的なテーマとして機能しています。ここにはスピルバーグ自身の「未知との遭遇」に対する希望的ビジョンが投影されており、恐怖ではなく友情と思いやりによって結ばれるSF世界を描いた先駆的例とも言えます。
家族の絆と成長の物語
エリオットの家は、父親が家を出てしまい、母親が子供たちを懸命に育てている状況でした。少年エリオットの寂しさと不安がE.T.との出会いによって埋められていく構図は、ただのSFではなく家族ドラマとしての機能を果たしています。また、エリオットやガーティ、マイケルら兄妹の関係性も、E.T.を守るために協力し合う中で深まり、家族としての絆が強まっていくのです。
クライマックスでE.T.が衰弱し、エリオットも同時に体調を崩す場面は、二人の間に築かれた強い結びつきを象徴的に示す重要な転換点と言えます。そしてE.T.が回復し、ついに“帰る”決心をする段階で、エリオット自身も“巣立ち”のような成長を遂げる。こうした構造は、少年の内的変化と異星人の物語を融合させた極めて普遍的な成長譚となっているのです。
映画史における衝撃:ファンタジーとリアルの日常が融合した新次元
興行収入の記録更新
『E.T.』は公開後、わずか1年ほどで『スター・ウォーズ』(1977)が保持していた世界興行収入記録を塗り替えました。その数字は世界各地の観客動員を示すとともに、作品のテーマが言語や文化の壁を越えて広く受け入れられた証でもあります。ファンタジー映画やSF映画というジャンルは、当時まだ大人向けかマニア向けの要素が強かったものの、『E.T.』の大成功を機に「ファミリーでも楽しめるSF/ファンタジー」が主流エンターテインメントの一角を占めるようになりました。
子供向けファンタジーへの再評価
『E.T.』の成功によって、ハリウッドは「子供が主人公の冒険映画」や「家族で楽しめるファンタジー作品」への注目度を大きく高めることになります。アニメーションや実写を問わず、80年代後半以降に続々と登場するファミリー向け作品のブームを先導したと言っても過言ではありません。先にスピルバーグが手がけた『レイダース』や『ポルターガイスト』(製作)などで描かれた冒険・ホラー要素が、さらに“子供目線”へとシフトしながら融合し、エンターテインメントとしての幅が格段に広がったのです。
キャラクター商品の爆発的な売れ行き
『E.T.』といえば、作品そのものだけでなく関連グッズの売れ行きも当時の記録を塗り替えました。ぬいぐるみから文房具、さらにはE.T.が好んで食べるチョコレート菓子(劇中では「Reese’s Pieces」が登場)まで、映画内で登場するアイテムがことごとく話題を呼び、子供たちの間で爆発的に普及。こうしたマーケティング効果は、後のハリウッド大作が「商品のタイアップ」を狙う流れにも大きく寄与したとされています。とりわけ1980年代には玩具メーカーやファストフードチェーン、玩具付きのシリアルなどとの連動が活発になり、映画産業と周辺産業のコラボが本格的に進んだきっかけの一つが『E.T.』だったのです。
スピルバーグ演出の革新性
子供たちの自然な演技を重視
スピルバーグは『E.T.』の撮影にあたって、子供役の俳優たちをできるだけ自然な状態で演技させるため、シーンごとに詳細な説明を加えずにリアルな反応を引き出そうと工夫しました。特に幼いガーティを演じたドリュー・バリモアには、本当に「E.T.という生き物が存在する」と信じさせるほど徹底的な環境を作り、カメラが回っていないときでもE.T.を動かしていたというエピソードが有名です。その結果、子供たちが見せるリアクションや会話は極めて自然で、観客はあたかも実在感のある異星人がそこにいるかのような臨場感を味わえます。
カメラワークと照明
『E.T.』の前半では、大人の顔が画面に映らないアングルが多用され、子供の背丈ほどの高さからカメラを回すことで、物語世界を子供の視点に同化させる仕掛けが施されています。また、後半になると科学者や政府の人間の存在が明確化し、照明も寒色系の厳かで現実的なトーンへと変化。対照的にE.T.とエリオットの場面では温かみのあるオレンジ色の光が用いられ、感情の交差を視覚的にも演出しています。
これらの映像表現は、スピルバーグが得意とする“視覚言語”の活用を象徴するものです。カメラの高さや光の色ひとつを取っても、観客の心情やキャラクターの立ち位置を雄弁に物語っており、その後のファンタジー映画やファミリー映画に大きな影響を与えました。
ジョン・ウィリアムズの音楽
ジョン・ウィリアムズが作曲した『E.T.』のテーマは、耳にした瞬間に作品の世界へ引き込む力を持っています。序盤では神秘的かつ繊細なメロディがE.T.の不思議な存在感を示し、中盤以降は少年と異星人の友情が深まるにつれて、より感動的でスケール感のある音楽へと展開。特にクライマックスの自転車飛行シーンでは、躍動感と感動を一度に体現するような壮大なスコアが流れ、観客の心を大いに揺さぶります。
このウィリアムズの楽曲構成は、『スター・ウォーズ』や『ジョーズ』で確立した“キャラクターと音楽の一体化”をさらに洗練させたものといえます。『E.T.』の音楽は単なるBGMではなく、登場人物の心情や場面のテーマを直接“言葉なく語る”もう一人の語り手として機能し、作品の感動を決定付ける重要な役割を担ったのです。
ヒーローズ・ジャーニーとの比較
ジョセフ・キャンベルの“ヒーローズ・ジャーニー”理論は、一見するとファンタジー映画や冒険映画の“英雄”に限定されると思われがちですが、『E.T.』のような身近な物語にも当てはまる要素があります。少年エリオットが主人公であり、彼がE.T.との出会いを通じて“未知の世界”へ導かれ、試練と成長を経験するという流れは、キャンベルの神話構造にかなり近いと言えるでしょう。
- 日常世界: エリオットは父親が出ていった家庭で母や兄妹と暮らしている。何気ないアメリカ郊外の生活。
- 冒険への招待: 裏庭でE.T.と出会い、その存在を知ったエリオットは大きな秘密を抱えることになる。
- 師や仲間との出会い: ガーティやマイケルと協力し、E.T.を家族に隠そうとする。ここで子供たち同士の“ミニ組織”ができあがる。
- 試練の数々: E.T.の衰弱、政府機関の捜査、大人の世界からの圧力など、エリオットは守るべき存在を危険から救うため奔走する。
- 最も危険な場所への接近: 科学研究所のような施設にE.T.が連れ去られ、エリオット自身も危機に瀕する。
- 最大の試練: E.T.との精神的リンクが切れるかのような絶望。E.T.は死んだかに見えるが奇跡的に回復、エリオットは再びE.T.に希望を託す。
- 帰還(あるいは自由): 自転車での逃亡劇を経て、E.T.は宇宙船へ帰る。エリオットはE.T.を送り出し、大切な友だちとの別れを通じて精神的に大きく成長する。
このように、神話的英雄譚にも通じる物語構造は、アメリカの住宅街という身近な舞台に置き換えられています。まさに“少年エリオットの冒険”こそが、本作の根幹をなすエッセンスであり、世界中の子供たちを惹きつける普遍的魅力となったわけです。
『E.T.』の思い出
少年エリオットへの共感
自分が子供時代に初めて『E.T.』を観た場合、10歳という多感な時期であり、エリオットとほぼ同年代です。家族関係や学校生活の中で孤独感を抱きつつ、どこか“自分の居場所”を模索している子供が、友だちもいない異星人を見つけて保護し、友情を育む物語は非常に身近に感じていました。
ファンタジーと現実の融合
10歳前後の子供にとって、“自転車で空を飛ぶ”というシーンは衝撃的かつ夢のような体験です。映画を観た直後、友人同士で「本当に飛べるんじゃないか」と想像をかきたてられ、外に出て自転車に乗り、どこかへ旅立てるような気分になるという声も多くあったそうです。E.T.の存在そのものがファンタジーである一方、舞台がごく普通の郊外の街であるというリアルさが相まって、「日常と空想の境界」が曖昧になる不思議な感覚を味わえたのです。
クリエイティブへの目覚め
この時期の映画体験は、その後の人生選択に大きな影響を与えます。特に『E.T.』のように“子供が主役の物語”でありながらスケールの大きなファンタジーを描いた作品は、「映画制作の世界に入りたい」「自分もこんな物語を作りたい」というインスピレーションを与える格好の材料となりました。
普遍的なテーマと永遠の感動
『E.T.』は1982年の公開から40年以上が経過した今もなお、世界中で愛され続けています。その理由は単に“異星人との出会い”という奇抜な設定ではなく、そこにしっかりと“家族の絆”や“友情”“孤独の癒し”といった普遍的テーマが描かれているからに他なりません。スピルバーグの演出やジョン・ウィリアムズの音楽、メリッサ・マシスンの脚本は、子供の純粋な視点を徹底して維持しながらも、大人が見ても深く感動できる完成度を持っています。
さらに、1970年代後半から続くSF・ファンタジーブームを一気に加速させたエポックメイキングな作品として、映画史の中での意義も非常に大きい。関連グッズの圧倒的な売上、子供たちの遊びや文化的アイコンへの影響、そしてアカデミー賞でも多くの部門でノミネート・受賞するなど、批評的にも商業的にも絶大な成功を収めました。
特に当時、10歳前後だった1972年生まれの自分にとっては、まさに“現実と空想が隣り合わせ”のような衝撃体験となり、その後の人生を方向づけるほどのインパクトを持っていたのです。映画の中にあふれる優しさと驚き、そして涙と笑いが絶妙に融合した物語は、観る者に「もし本当に異星人と出会えたら——」という希望や夢を育み、“世界にはまだ未知がある”というワクワク感を届けてくれました。
最後に
『E.T.』は童心とファンタジーを見事に融合させた“究極の家族映画”と言えるでしょう。上映時間自体は決して長くないものの、子供たちの視点と異星人E.T.の存在が織りなす物語世界は奥深く、繰り返し鑑賞する中で新たな発見と感動を味わうことができます。スピルバーグ本人の原体験や想像力が詰まったこの作品は、“孤独と友情”という普遍的テーマをどこまでも優しく、そして力強く描き出しているのです。
当時の子供たちが抱いた「映画ってこんなにもワクワクさせてくれるんだ」という原初的な感覚こそが、『E.T.』の最大の魅力にほかなりません。同時代に幼少期を過ごした多くの人々にとって、『E.T.』との出会いはまさに“心の扉を開く体験”だったのではないでしょうか。映画の歴史の中でこの作品が担っている意味は、エンターテインメントを超えて“夢を共有することの素晴らしさ”を人々に教えるメッセージ性にあります。
上映当時から40年以上が経過してもなお、E.T.が指先を伸ばし、エリオットやガーティたちと心を通わせる姿は、スクリーンのこちら側にいる観客の胸を打ち続けています。親子で観れば絆を深め合うきっかけになり、友人同士で観れば一緒に笑い合い、涙する体験を共有できる。そしてひとりで静かに観れば、かつて子供だった自分の姿に立ち返り、“まだ見ぬ友だち”への想いをはせることができる。そうした普遍性こそが、『E.T.』が映画史において唯一無二の地位を築き続ける理由の一つと言えましょう。
今の時代、CG技術は飛躍的に進歩し、よりリアルで壮大な映像表現が可能になりましたが、『E.T.』で表現された「小さな存在との大きな出会い」「家の裏庭からはじまる冒険」「自分の弱さを受け入れて成長する子供の姿」は決して色褪せることがありません。そこには人間の想像力が持つ魔法のような力があり、作品の隅々からスピルバーグの愛情を感じ取ることができます。まさに“映画の魔法”を体現した作品が『E.T.』であり、それが今なお世界中で語り継がれている所以なのです。
映画の中でE.T.はしきりに「おうちに電話を」と求めます。異質な存在であっても通じ合える温かさ、それを支えるのは言葉よりも深い“思いやり”の力。1972年生まれの少年がスクリーンの向こうに夢を抱いたように、これからの時代の子供たちもまた、この不思議な異星人と少年の物語を通して新たな夢と優しさを見いだすことでしょう。『E.T.』は、人と人(あるいは異星人)とのつながりの尊さを教えてくれる不朽の名作であり続けるのです。