【映画】ドナルド・リチーの『熱海ブルース』

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タイトルは『熱海ブルース』です。1939年、由利あけみによる楽曲がありますが、映画にも同タイトルのものがあります。

熱海ブルース(1962年)

YouTubeで全編公開されています。

英語タイトル:Atami Blues
監督・編集:ドナルド・リチー
制作:1962年 時間:20分
脚本:マリー・エヴァンス
撮影:ヒラノヒデトシ
音楽:武満徹
出演:ワダチエコ(和田知恵子)、スズキトモスケ(鈴木友輔)

1962年に撮影された、ドナルド・リチーによるモノクロの作品です。上映時間は、20分の短編映画になっています。音楽は武満徹。

熱海の旅館で、ふと出会った男女の物語です。

出典:YouTubeより

出典:YouTubeより

出典:YouTubeより

出典:YouTubeより

出典:YouTubeより

出典:YouTubeより

出典:YouTubeより

出典:YouTubeより

1962年の熱海の雰囲気がわかる映画です。熱海城は、すでに完成しています。当然、熱海サンビーチはなく、すぐに海です。海岸線を歩く人達。つい最近まで、この形だった駅舎も写っています。

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監督:ドナルド・リチー

監督はドナルド・リチー。太平洋戦争後に、進駐軍として日本に来ます。その時に、川端康成、早坂文雄などの文化人にふれあい交流がありました。アメリカに帰国後は、大学で日本の研究をはじめ1954年に再び来日。黒澤明、溝口健二、小津安二郎の日本の巨匠たちを海外に紹介しました。

1924年4月11日、アメリカ合衆国のオハイオ州のライマに生まれ。少年時から映画に関心を持ち8ミリで作品を作り始めた。ライマ中央高校卒業後、ヒッチハイクとアルバイトでアメリカ各地をさまよったあと、第二次世界大戦勃発により軍に入隊する。1946年に進駐軍の募集に応募し、タイピストの職を得、翌年来日した。進駐軍の文化財部で働いていたとき、タイプができたのでニュースレターに記事を投稿してみたところ好評を得、アメリカ軍の準機関紙星条旗新聞に異動になる。映画欄担当になったのを機に、日本語はできないながらも日本映画をたくさん観始め、映画関係者に知遇を得る。日本滞在中、英米出身の日本研究者たちの博識ぶりや上級高官たちの社交世界に触れ、また、川端康成、鈴木大拙、多忠麿、加島祥造、早坂文雄といった多くの文化人とも交友が生まれ、オハイオの田舎では到底味わい得なかった知的で文化的な世界に大いに触発された。1949年に帰国後、コロンビア大学に入学、1953年に卒業。1954年にふたたび来日し『ジャパンタイムズ』紙の映画評や書評などを執筆し始めた。また進駐軍の一員として来日をしてからこの時代にかけて作曲活動も始め、舞台音楽などを発表している。1959年にジョセフ・アンダーソンとともに The Japanese Film: Art and Industry という、英語による日本映画史研究書を上梓。1960年代に、黒澤明、溝口健二や小津安二郎を積極的に海外に紹介し、飯村隆彦、大林宣彦らとともに結成した「フィルム・アンデパンダン」に参加し、実験映画作家としても活躍した。1969年から1972年まで、ニューヨーク近代美術館の映画キュレーターも務めた。1983年に第1回川喜多賞を受賞。2004年、第5回東京フィルメックスの審査委員長を務めた。同年、旭日小綬章を受章。2013年2月19日、東京都内の病院で死去。88歳没。  出典:Wikipediaより

日本映画文化を世界に広めた彼は、映画作家としての一面もありました。寺山修司、武満徹などとも交流があり、アバンギャルドな映像作品を残しています。この『熱海ブルース』も、またその一つです。

この映画は1962年に2日間で撮影され、1967年に再編集して完成しています。当初は40分だったが、再編集により20分に短縮されました。

「この映画は熱海の歓楽街で2日間で撮影された。当時私の妻だったマリー・エヴァンスがつくった、行きずりの恋についての簡単な話がきっかけとなり、相手の青年よりも、女性についての映画となるように深化させていった」(D・リチー談)

脚本にクレジットされているのは、妻のマリー・エヴァンスです。

DVD:ドナルド・リチー作品集

ドナルド・リチーの作品はYouTubeにアップされてはいますが、DVD化もされています。

黒澤明、小津安二郎、溝口健二といった日本映画の巨匠たちを、欧米に初めて紹介した映画批評家ドナルド・リチー。彼はまた寺山修司、武満徹、土方巽、細江英公、三島由紀夫といった戦後日本を代表するアーティストたちを結ぶ線の中心に存在したアヴァンギャルド映像作家でもあった。日本とアメリカ、映画と現代美術、ハイ・カルチャーとアンダーグラウンド・カルチャー、エロスとタナトス、高貴さと野蛮さ・・・。相反するとも思えるふたつの極を軽やかに越境する魅惑的な存在、ドナルド・リチー。映像作家としてのリチーの存在、反逆とユーモアにあふれる代表六作品を収録。

【収録作品】
『戦争ごっこ』(1962年/22分) 振付:土方巽
『熱海ブルース』(1962年/20分)音楽:武満徹
『猫と少年』(1967年/5分)音楽・演奏:マセネ
『死んだ少年』(1967年/13分)詩:高橋睦郎
『五つの哲学的童話』(1967年/47分)
『シベール』(1968年/20分)脚本:加藤好弘、出演:ゼロ次元

1962年〜68年までの作品で、5〜20分の作品ばかりです。

ドナルド・リチーの本

彼は、映画に関する書籍も数多く執筆しています。

映画芸術の革命 (1958年)

この焦土 (1957年)

小津安二郎の美学―映画のなかの日本 (1978年)

黒澤明の映画 (1979年)

音楽:武満徹

この映画音楽は、武満徹(たけみつとおる)。アバンギャルドな映画には、欠かすことのできない日本の大音楽家です。

映画「他人の顔」よりワルツ

自分は、勅使河原宏監督『他人の顔』のワルツが大好きなんですよね。

ピアノ:八木正生

ピアノには、八木正生(やぎまさお)。

青山学院高卒業。戦後、築地の「クラブ・リオ」、米軍立川基地などで演奏。武満徹・渡辺貞夫らとともに日本のジャズ創世記に活躍。1960年代から東映の映画音楽をメインに作曲を手がけていたが、1976年の千葉真一主演映画『脱走遊戯』では、自らのベースであるジャズのみで映画音楽を制作した。その他にはネスカフェ・ゴールドブレンドのCM音楽『めざめ』や、デューク・エイセスとは1970年代中盤から作・編曲 コンサートの音楽監督としても携わった。サザンオールスターズの楽曲にアレンジャーとして1980年から1985年の間に参加し、彼らの音楽観にも大きな影響を与えた。 Wikipediaより

まとめ

今回は、熱海が舞台のアバンギャルド映画をご紹介しました。

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