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諏訪護国神社
諏訪湖に行ってきましたので、数回にわけて写真をアップしてみたいと思います。
中央本線のあずさ号で、上諏訪に降り立ちまず向かったのがこちらの神社です。
長野県諏訪市高島1丁目20−1
0266-52-1437
澄んだ空気の中、太陽の明かりが眩しいです。
御柱祭で有名な諏訪地方。諏訪大社に大きな柱が立てられるのは知られていますが、実はまわりの神社にも御柱が立てられるのです。諏訪護国神社のような中規模もものはもちろん、本当に小さい社でも柱が立てられています。もし、諏訪地方に行く機会がありましたら、小さい神社で探してみてください。
前回の御柱祭に行ってきた時の写真はこちらからどうぞ
永田鉄山
どこの護国神社にも、その土地出身の立派な軍人さんの像が立っています。諏訪護国神社も例外ではありません。こちらにあったのは、諏訪出身の日本帝国陸軍 永田鉄山中将の像です。
永田の前に永田なく、永田の後に永田なし
永田 鉄山(1884年1月14日〜1935年8月12日)は、日本の陸軍軍人。統制派の中心人物。陸軍中央幼年学校を2位、陸軍士官学校を首席、陸軍大学校を2位で卒業したのち参謀本部第2部長、歩兵第1旅団長などを歴任した。軍政家として本流を歩み「将来の陸軍大臣」「陸軍に永田あり」「永田の前に永田なく、永田の後に永田なし」と評される秀才だったが、陸軍省軍務局長で階級は陸軍少将時に、陸軍内部の統制派と皇道派の抗争に関連して相沢三郎陸軍中佐に殺害された。 wikipediaより
https://ja.wikipedia.org/wiki/永田鉄山
歴史に「たられば」はありませんが、「もし永田鉄山ありせば太平洋戦争は起きなかった」、「永田が生きていれば東條が出てくることもなかっただろう」などと言われることあった人物です。
御神渡りの写真も撮ってきましたので、後日アップいたします。