【縄文土器】火焔型土器のデザインと機能展

東京・渋谷にある國學院大學博物館に行ってきました。目的はこちら

特別展 火焔型土器のデザインと機能


特別展「火焔型土器のデザインと機能」

会期:2016年12月10日(土)から2017年2月5日(日)まで

主催:國學院大學博物館、信濃川火焔街道連携協議会(新潟市・三条市・長岡市・十日町市・津南町)、新潟県立歴史博物館

後援:毎日新聞、NPO法人ジョーモネスクジャパン

平成28年度、縄文時代中期の火焔型土器などを構成文化財とした『「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化』が信濃川火焔街道連携協議会の申請により文化庁の日本遺産に認定されました。本特別展は、それを記念し、火焔型土器や同時期の土偶や石棒などの出土品を通して、その実態と魅力を多面的に紹介します。

國學院大學博物館よりhttp://museum.kokugakuin.ac.jp/special_exhibition/detail/2016_jomoesque_japan.html


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國學院大學博物館特別展 入館料:無料

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特別展「火焔型土器のデザインと機能」

渋谷駅から徒歩10分で到着する國學院大學。文系の大学として、法学部、経済学部、そして文学部を要し、文学や神道について学べるほか、歴史や考古学に関しても権威があり膨大な資料があることでも知られている。その國學院大學博物館では、常設展では考古学・神道・国学に関する資料が展示してある。特に自分がオススメなのは、神道の資料が系統だてて展示してある貴重な博物館だと思うので、渋谷に遊びに来て時間があったら散歩コースに入れてみると面白いのではないかと思います。

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入場無料、撮影OK

國學院大學博物館は入場無料、基本撮影OK。NGの部分もあるので注意して、係の方の指示に従ってください。

国宝「新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器」

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国宝 深鉢形土器 火焔型土器

会場に入るとすぐに国宝「新潟県笹山遺跡出土深鉢形土器」がお出迎えしてくれ、四方からと上からも観察できます。そこには火焔型土器の圧倒的な存在感があります。

「火焔型土器」とは?

火焔土器(かえんどき)は縄文時代中期を代表する縄文土器の一種で、燃え上がる炎を象ったかのような形状の土器を指す通称名。火焔型土器とも呼ばれる。装飾的な縄文土器の中でも、特に装飾性豊かな土器である。初めて発見された馬高遺跡を標式遺跡として馬高式とされるものの一部が該当する。発掘時の愛称がそのまま通称として用いられている。ただし、考古学分野、特に土器型式の研究においては、「馬高式」の名が用いられる。

wikipediaより

最初に発見されたのは、今から遡ること80年前の1936年12月31日に近藤篤三郎が馬高遺跡で火焔土器を発掘したと伝えられている。

時代:縄文中期

約5,500〜4,500年前になる。縄文時代全体は約1万5,000年前〜約2,300年前になる。時代背景としては、縄文時代早期には氷河期から次第に温暖化が進み、海水面が30メートルほど低かった時期から現在に近い状態になってきている。漁業や食物調達も進化してきて、集落の規模も大きくなり貝塚も大型化が見られてくる。また石棒・土偶などの多く作られるようになってきて、立体的文様のある大型土器が流行している。

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中には使用痕

そんな時代背景に作られた火焔型土器の特徴は、過剰な装飾で四方について余計な突起により使いにくさがある。にもかかわらず、しっかりと使用されていたのが黒い炭(おこげ)がのこっていることからも解ります。単に、儀礼のためだけに使っていたというわけでもないのです。

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過剰な装飾 鶏の頭のような形

ニワトリの頭のような形で、「鶏頭」と呼ばれています。実際には、ニワトリの頭を模したわけではないようです。また縁のギザギザがまさに炎が如くで「火焔」と呼ばれる所以です。

東日本全体では200以上の遺跡で出土しているが、特に信濃川流域の新潟県、長野県北部および阿賀野川流域の福島県西部の出土数が多いのです。

王冠型土器

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深鉢形土器 王冠型土器

火焔型土器と同時期、同地域で出土している王冠型土器。こちらも過剰な装飾ながらも火焔型土器のような縁のギザギザがありません。例えるながば王冠と言ったところか。写真の王冠型土器は、重文です。

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火焔型土器

分類によるのですが、火焔型土器と火焔土器とあります。

火焔型土器のココロ

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解説文

信濃川流域の縄文人は、例えば土偶や石棒など縄文人の世界観に関わるものを多く土製品や石製品を残している。多様な土製品や石製品は、火焔型土器とともに育まれた豊かな精神性を伝えている。

きっと表現力豊かな縄文人の青年が、火焔型土器の原型を作ったのだろうか。「それ、いいね〜」と仲間が同調して、発展していき、信濃川流域を中心としてブームを巻き起こしていったのだろう。そんなイメージができます。

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一緒に出土した小さな土偶たち

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会場の雰囲気

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国際フォーラム火焔街道往来2016

訪れた展示の初日にシンポジウムが行われました。会場は、國學院大學渋谷キャンパス 学術メディアセンター1F常磐松ホール。タイトルは

「中期縄文土器の過剰なデザインと多様な第二の道具」
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シンポジウム

1日目【基調講演】

新潟県津南町の町長で会長の上村憲司さんの開会のご挨拶から始まりました。

今回の展示背景

新潟市、三条市、長岡市、十日町市、津南町の4つの市と1の町(来年からは魚沼市)では、この火焔型土器に注目して広域観光の材料として地域から情報発信をしている。そして今年、この火焔型土器が【日本遺産】に選ばれた。その名も

「なんだ、これは!」信濃川流域の火焔型土器と雪国の文化

信濃川火焔街道 http://www.kaen-kaido.com/manabu/event_eve20160427.html

なんともアバンギャルドなタイトルだと思ったら「なんだ、これは!」は芸術家岡本太郎氏の縄文土器を見た時のコメントからとっているとのこと。いいですね〜

「縄文土器の荒々しい、不 協和な形態、紋様に心構えなしにふれると、誰でもドギッとする。なかんずく爛熟した中期の土器の凄 まじさは言語を絶するのである。」

『縄文土器論』岡本太郎

岡本太郎のこの発言以降、それまで日本美術史では古墳時代の埴輪が日本最古の美術作品だったのが、土器に美的視点が加えられ、この火焔型土器が日本美術史の最初のページに載るようになりました。日本美術史に革命を起こす発言だったのです!

近隣市町村「信濃川火焔街道」の活動では、「縄文楽検定」所謂縄文文化を認知してもらう今時はやりの検定もおこなっている。さらに2020年東京オリンピック・パラリンピックにむけ、聖火台に火焔型土器のデザインを採用してもらえるように活動を開始した。過去にも1959年小説家松本譲氏が、1964年東京オリンピック聖火台デザインに火焔土器を提案しています。

その様な背景から今回の展示は、日本遺産魅力発信事業の1つとして行われている。

縄文人の心象世界と縄文土器

続いて、谷口康浩氏(國學院大學考古学研究室)により

「縄文人の心象世界と縄文土器」をテーマに話されたんので、下記にお話をざっくりですがメモします。※少々とりとめないですが


縄文中期土器に関しての特徴、その時代背景

縄文土器と弥生土器の違い

弥生土器→機能性 function
縄文土器→象徴的土器 art symbol cord

弥生器種(用途)ははっきりわかる。形を見ると使い方がはっきりと分かるが、縄文時代の土器は、形をみてもイマイチはっきりとは解らない。


縄文早期・前期 反復性の圧痕(あっこん)幾何学模様

縄文中期 物語性文様 過剰デザイン

 → 火焔型土器 世界的に見ても取手が飛び出ているような土器はない

縄文後期・晩期 優れた技巧、様式美、単位文様


中期 文様帯の変化確立

1)文様と造形の性質

 実用性を超えた過剰なデザイン

 →先生が数えたそうすが、土器に渦巻きが55個あった。

 土偶と土器の融合 → 勝坂式土偶

 曲線文、渦巻き文の発達、物語性性文様

2)土器の取り扱い

 土器埋設炉、埋龜、土器棺 →新しい土器の使い方

3)地域性・社会性側面

 地域色の強まり

 異系土器の折衷・融合 

 そり式土器


勝坂式土偶

土偶と土器の融合 土器の中に土偶が溶け込んでいる。土偶の顔のした顔面取手がある。全体土器が土偶のイメージで作られている。この土器ので煮炊きをするのは、土偶の中で煮炊きしている。土偶は妊娠中の女性である。

勝坂式土器の中に表現された蛇体(中期)

 玉抱く三叉文 縄文人の間で長い間ひきつがれていて

縄文勾玉

 縄文時代にも勾玉はあった。縄文勾玉と土器文様に玉抱き三叉文に行ったと谷口先生の説

 中期の住居の中に、土器を埋めているのが見られる。

地域性の話

火焔土器 限られる  鶏の頭のような4つの突起が見られる

火焔型土器

火焔土器様式美 火焔型土器・王冠型土器

信濃川流域 阿賀野川にも若干みられる

土器のなかには、使用こんがある。実際に使用したと。

鶏頭かん突起が時計回りと反時計回りの二種類ある


中期になぜ過剰なデザインが生まれるか?

1)心象世界

縄文人の世界観・信仰の表現

  ←→機能・効率優先の弥生式土器

2)社会的コミュニケーションの媒体

  集団的アイデンティティの物質化

  集団間コミュニケーションのツール

  言語と記号、情報伝達、イデオロギー →文字を持っていなかった。しかし言語はもっていた。文字はないにしても黒曜石・翡翠などは集落外との交換活動などはおこなっていた。

部族のアイデンティティを物質化してデザイン化したと思える

そしてデザイン化してアイデンティティを確保することで集団的な関係を円滑にしている

まとめ)縄文中期は、人口が急激に増えた時期。社会性背景が複雑になって、それに反映して縄文土器もデザイン性がでてきた。

韓半島 櫛文土器 儀礼具 装身具

もうお一方、韓国からの河 仁秀さん(韓国 釜山近代歴史館長)がいらして韓半島の同時代の様子について講演された。すみません、こちらもメモで失礼いたします。


韓国で土偶は40点しか発掘されていない。それも東海岸のみ

 ちなみに日本で4万点発掘されている。近隣地域では沿海州や山東半島でも土偶は発掘している

貝塚で破損された状態でしか発見されていない

シンプルな形状で動物型と人型がある

3.6〜6センチの小さいもの。だいたい5センチ

クマ、犬、イノシシ、オットセイの動物がでてくる

韓国では、クマは信仰の対象の動物。韓国はクマから生まれたという伝説がある。

東三洞貝塚から出てきた土器のには鹿の文様がついている。韓国最古の絵画である。

サイズが小さいことから儀礼につかったり、信仰の対象ではなかったと考えられる。

韓半島と日本と東北に考えられる必要がある。土偶と九州は関係ないと思う。骨偶などが韓国では多い。シカ、イノシシの骨を丁寧に細工して、人型にしたりする。石偶は、鳥の形にしてものが発掘されている例がある。

※日本の土偶と比べるとシンプルというか幼稚な感じをうける


貝面 貝でできた仮面 

日本の阿高貝塚でもどうような貝面が発見されている。

 漁民が祭祀行為にて使ったと考えられる


韓国の考古学のプレゼンテーションを初めてみたのだが、資料が文字がハングルと漢字がまざったものになっている。漢字で表記されているが名詞である。以前聞いたことがあるが、戦後ハングルのみにしたことによって学術的な表記が難しくなったという。学術の分野では漢字の復興がおこっているのだろうか?

以上、基調講演は60分×2コマで行われた。

縄文コンサート

今回の展示を記念してエレキチェロ奏者 斎藤孝太郎さんの演奏が行われた。

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縄文コンサート

火焔型土器の文様を譜面に起こすという革新的な試みの演奏は面白い。

YouTubeに斎藤さんの演奏の様子がアップされていましたので、こちらをどうぞ

火焔型土器に想う

人間の活動が変化するときには、かならず地球規模での気候変動がトリガーとなっている。縄文時代、氷河期から温暖な気候へとうつり生産活動がより活発になり、豊富な食糧で摂取カロリーが増加、集落も大型化へ向かう。人々の生活に余裕がでてきたとき、余剰活動として集落のアイデンティティを求めるようになったのだろう、その時に土器への過剰な装飾という方法で、ヨソと俺らは違うと表現したのかもしれません。それにしても力強く、活動的な火焔型土器は魅力的です。岡本太郎さんが影響されたのもうなずけます。また、多くの漫画家も題材として取り上げていたりします。

参考:漫画に登場する火焔型土器

1976年 水木しげる「縄文少年ヨギ」「第8話争いのつぼ」

1977年 手塚治虫「三つ目がとおる」「地下の都」

1977年 松本零士「宇宙海賊キャプテン・ハーロック」

1979年 諸星大二郎「孔子暗黒伝」「東夷編」

1981年 星野之宣「ヤマトの火」

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