熱海駅から伊豆山行きバスで10分で到着する伊豆山神社。毎年春に例大祭が行われています。神社から神輿のでる宮出しを見てきましたので、写真をアップいたします。
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伊豆山神社例大祭
宵宮祭 14日 20:00
神女舞・実朝の舞奉奏 15日 10:00
神幸祭(雨天時16日に変更)
発輿祭 15日 13:00
下宮祭 15日 14:00
還御祭 15日 15:00
正殿祭 16日 10:00
2017年は金土日の週末になったのと、天気が良かったため、多くの見物客が訪れていました。また、例年にくらべ桜の開花が遅く、ちょうど境内の枝垂れ桜が見頃を向かえるという素晴らしいシチュエーションです。
着物姿の女性たちに、枝垂れ桜、境内は賑わいを見せていました。大判焼きや焼き鳥、たこ焼きなどの出店も出ていて、地元の子どもたちの楽しそうな姿もお祭りならでは。
午後11時にあると行事が色々進んできて、参加する人たちが社殿の前で記念撮影をしていました。地元の子どもたちとお母さんたちもお祭りに参加です。
こちらは、社殿裏で弓をいる行事「古式三三九手手挟大的奉射」に参加する方々で、神事の前にお祓いを受けている様子です。
発輿祭・宮出しは13時過ぎです。ちょっと遅れてのスタートになったと地元の方が口にしていました。神輿は全部で4体。伊豆山神社周辺の3地区の神輿がそれぞれ1体づつと、厄年を向かえた男子のみで担ぐ神輿があります。
それぞれの地区によりカラーがあり落ち着いて担ぐ地区、元気いっぱいに担ぐ地区がありました。都会派な雰囲気の20代後半の方にお話を聞いたら
「普段は東京で住んでいるんだけど、今日は実家に帰ってきました」
爺ちゃんが伊豆山にいるので、爺ちゃん孝行のためだそうです。チャラそうな感じの方でしたが、しっかりしてるな〜
伊豆山神社は、海の側「走湯」までだと800段以上、社殿すぐ下の鳥居までも180段があります。参拝に来る年配の方は、途中休み休みのぼっていかれるほどの坂道です。
そんな階段ですから、神輿が降りるにしてもしっかりしないと事故になります。
地元の方、見物の方、カメラマンなどを引き連れて神輿は降りていきます。
緑の装束を着ているのは、年男たちです。地元3地区の神輿の後、最後に降りてきます。まだ、お昼の13時過ぎですが、お酒が入った担ぎ手もたくさんいました。
鳥居をくぐり抜け、道路に出た神輿はこの後町を練り歩きます。さらに降ったところに神輿が一晩泊まる場所【お旅所】があるので、そこに向かいます。今回は訪れませんでしたが、そこでは【実朝の舞】が行われます。
普通、神事に行われる舞は【浦安の舞】ですが、ここ伊豆山神社では【実朝の舞】が行われます。地元の選ばれた中学生が行います。帰りのバスで隣に座った地元・伊豆山の方が、娘が以前に【実朝の舞】を踊ったそうで、これは絶対に見たほうがいいと仰っていました。来年は、実朝の舞を見に行きたいと思います。祭り最終日の16日にも【実朝の舞】は行われます。
実朝の舞
伊豆山神社の中秋の名月歌会でも【源実朝の舞】が舞われています。動画がアップされいましたので貼っておきます。
源実朝とは?
源頼朝の第四子で、北条政子の第二子、鎌倉幕府三代将軍。第二代将軍・頼家が北条家に暗殺された後、12歳で征夷大将軍に職につくが28歳の時に頼家の子・公暁によって暗殺される。
歌人としても有名で、九十二首が勅撰和歌集に入集、小倉百人一首にも選ばれている。小倉百人一首では鎌倉右大臣になっている。
伊豆山神社とゆかりで有名なのが、伊豆山神社に向かう時に読んだ歌
「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」
小倉百人一首で読んだ歌は
「世の中は つねにもがもな なぎさこぐ あまの小舟の 綱手かなしも」
太宰治「右大臣実朝」
太宰治が、『吾妻鏡』を典拠とした長編小説「右大臣実朝」を書いています。1943年錦城出版社から刊行。
まづ箱根権現に参籠して謹んで祈誓の誠を致され、それから伊豆山権現に向つて出発いたしましたが、その前日あたりから一片の雲もなく清澄に晴れて、あたたかい日が続き、申しぶんの無いたのしい旅が出来ました。
太宰治「右大臣実朝」より
源頼朝が崇拝していた箱根神社(箱根権現)と伊豆山神社(伊豆山権現)を、正月に詣でるのを【二所詣】と言います。
まとめ
平和通り名店街のお店の方に、伊豆山神社の祭りを見に来たと話したら「7月に来宮神社の祭りもあるから、そっちも見に来て!」とアピールされました。
熱海の例大祭、7月14〜16日に来宮神社、10月に今宮神社があります。どちらも注目なので、行ったらまたお知らせします。
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※源頼朝ゆかりの記事です。