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南熱海・上多賀の氏神様・多賀神社
にお参りしてきました。
多賀神社
住所:静岡県熱海市上多賀741-1
住所:静岡県熱海市上多賀741-1
この日は、車で訪れました。多賀と熱海をつなぐ道路は、海沿いの国道とここ多賀神社の前を通っていく頼朝ラインと呼ばれる山道の2つがあります。この日は、日曜日の昼過ぎ、海岸ルートが混んでいたので抜け道でこちらを利用する車が多く見受けられました。多賀神社の近くには上多賀郵便局と多賀駐在所が近くにあります。
※電線が邪魔だな。。。
多賀神社 社殿
多賀神社由来
境内にある由緒書きによると・・・
多賀神社由来
一、 所在地 熱海市上多賀字宮脇
一、 祭神 伊弉諾尊(イザナギニミコト)伊弉册尊(イザナミノミコト)
一、 神社名の沿革
本神社の由緒についてはあまり詳しくは解っていない 正徳年間(西暦一七一一)に近江(滋賀県)の多賀神社の祭神伊弉諾尊、伊弉册尊の二神を勧請し、以後日少宮(ニノワカミヤ)と称し明治六年に多賀大明神と改称するまで一六〇年間日少宮と唱えられていた
一説に平安朝初期延喜五年(九〇五)に延喜式神名帳が制定され宮廷の諸行事の規範とともに神社の位階を定めて延喜式内社が制定された
静岡県下における式内社は遠江国六十二社、駿河国二十二社、伊豆国九十二社となっておりその内伊豆国の田方郡は二十四座の式内社が認められている
この中に上多賀の神社として白波之彌奈阿和命神社(シラナミノミナアワノミコトジンジャ)がある これは日本神社の研究書として著名な大日本史神祇志、特選神名牒、伊豆国式社考略、南豆神祇志、豆州志稿、日本地理志稿、静岡県史の七書において上多賀の多賀神社であることを立証している かつて昔白波之彌奈阿和命神社は 通称阿和神社としてまた多賀明神として縄文弥生古墳時代の祭祀遺跡のある地宮脇の聖地に祭られ古い伝承や神事があることなど多賀の氏神として尊崇されてきた 平成八年七月吉日 多賀神社
一、 所在地 熱海市上多賀字宮脇
一、 祭神 伊弉諾尊(イザナギニミコト)伊弉册尊(イザナミノミコト)
一、 神社名の沿革
本神社の由緒についてはあまり詳しくは解っていない 正徳年間(西暦一七一一)に近江(滋賀県)の多賀神社の祭神伊弉諾尊、伊弉册尊の二神を勧請し、以後日少宮(ニノワカミヤ)と称し明治六年に多賀大明神と改称するまで一六〇年間日少宮と唱えられていた
一説に平安朝初期延喜五年(九〇五)に延喜式神名帳が制定され宮廷の諸行事の規範とともに神社の位階を定めて延喜式内社が制定された
静岡県下における式内社は遠江国六十二社、駿河国二十二社、伊豆国九十二社となっておりその内伊豆国の田方郡は二十四座の式内社が認められている
この中に上多賀の神社として白波之彌奈阿和命神社(シラナミノミナアワノミコトジンジャ)がある これは日本神社の研究書として著名な大日本史神祇志、特選神名牒、伊豆国式社考略、南豆神祇志、豆州志稿、日本地理志稿、静岡県史の七書において上多賀の多賀神社であることを立証している かつて昔白波之彌奈阿和命神社は 通称阿和神社としてまた多賀明神として縄文弥生古墳時代の祭祀遺跡のある地宮脇の聖地に祭られ古い伝承や神事があることなど多賀の氏神として尊崇されてきた 平成八年七月吉日 多賀神社
由来の裏面です。
追記 萬寿四年(一〇二七)六月 多賀神社再建の記録が残されていた 後世文政一二年(一八二九)棟礼に往古の宮殿に覆殿中殿(祝詞殿)拝殿を再造のことが明記されており古き年代の神社再建の歴史を伝えている
祭礼縁起 往古より隔年の祭礼であったが いつの頃からか毎年(旧暦)六月二十八日 二十九日に行うようになった 明治初年太陽暦(新暦)に改暦するにおよんで 七月二十八日に宵祭り(宵祭)二十九日に本祭りとして行われるようになり 今日に至っている 以上
祭礼縁起 往古より隔年の祭礼であったが いつの頃からか毎年(旧暦)六月二十八日 二十九日に行うようになった 明治初年太陽暦(新暦)に改暦するにおよんで 七月二十八日に宵祭り(宵祭)二十九日に本祭りとして行われるようになり 今日に至っている 以上
口をあけて【阿】の狛犬
ひょうげた小さい狛犬が下に置かれています。
口をとじて【吽】の狛犬
後ろに、ご神木が見えます。
ご神木
立派な楠です。
境内には、大きなご神木が何本も立っています。こちらの楠は高さ30メートルはある巨木で、多賀神社の社殿を覆うように枝葉がのびています。
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磐座(いわくら)
社殿の裏にまわると、黒い石が祀られているのを発見。いったいこれはなんなのか?
磐座・磐倉・岩倉(いわくら)とは、古神道における岩に対する信仰のこと。あるいは、信仰の対象となる岩そのもののこと。 wikipediaより
祭祀遺跡の石碑を見てみると・・・
磐座(いわくら) 千五百年以前頃の住民が神々の降臨を仰ぎ盛大に祭典を行った場所である現在の社殿を造営するに当り磐座に小詞を造り地主神の台座として保存してあった 昭和三十三年八月国学院大学教授大場磐雄博士沼津女子高校小野真一先生等の指導の下に当慮を発掘し其の出土品を研究調査した結果白銅鏡一面祭祀用青銅鏡五面有孔円盤勾玉其の他各種の出土品があった 祀用青銅鏡の発見は我が国で四番目だったと言われている依って之を記念する 多賀神社
境内社
まとめ
多賀の海からすぐ近くながら、少々丘になっているところに多賀神社があります。古来・縄文時代には、集落があった地域だそうです。磐座をみると、その集落の古代の神が時を経て神社へと変わっていったと想像できます。
熱海の神社紹介記事