熱海の繁栄を語る上で欠かせない一大事業があり、それは先人たちの努力の結晶であった。
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東海道本線の丹那トンネル開通
来宮駅から車で5分。熱海梅園から徒歩5分のところに丹那神社があります。熱海梅園の駐車場から来宮神社方面に歩いたところ。右手の下に、東海道本線が走っており、その電車が通過していくのが丹那トンネルです。※新幹線は、新丹那トンネル。
丹那神社の看板に、「丹那トンネル殉職碑」「救命石」「水力発電所跡」の案内も
丹那トンネルとは?
東海道本線熱海駅と函南(かんなみ)駅の間にあるトンネルで、総延長7804メートル、1934年(昭和9年)に開通。鉄道用複線トンネルとしては、当時日本最長だった。
丹那トンネルが開通するまでの間、東海道本線は現在の御殿場線を利用していた。その路線は勾配が急なために、通過前に補助機関車を連結する必要があり、速度も落ちることから輸送上の点から問題があった。丹那トンネルが開通すると、路線が11キロ短縮され、さらに補助機関車も必要なくなり、速度アップ・経費削減で輸送力が高まった。
丹那トンネルの開通により、東海道本線の輸送力が格段にアップ!
丹那トンネルの入り口上には、丹那神社と慰霊碑がある。
トンネルを正面から見ることのできる位置から撮影できないのが残念。さきほどの道路から入り、慰霊碑を通過したあたりから振り返って撮影した。
丹那トンネルの掘削が、超絶難航した大工事だった!
Wikipedia→ 丹那トンネル
電気代が高くて、電灯が使えずにランプを使っていた!
断層が何本と通っているところを突き抜いている!
工事中に、その断層で地震発生!
地層調査がずさんで、落盤事故も多発!!! などなど
そんな難工事をなんとか終えて、
1934年に丹那トンネルは開通
開通時には、NHKがトンネル入口に中継基地を作り、通過初列車の様子を実況した。この事業は、多くの人の悲願であり、国家発揚のためにも使われていたのでしょう。先程のトンネルの写真で、穴の上に2つの数字が書かれていたのに気づきましたでしょうか?
トンネルの上に書かれた数字の正体は?
2578 と 2594
熱海側の坑門上部には、写真ではちょっと見づらいですが開通時の鉄道大臣・内田信也が書いた「丹那隧道」の扁額(へんがく)があり、左に2578、右に2594の数字がある。この数字は、着工と開通の年を表す皇紀。
着工:皇紀2578年
開通:皇紀2594年
皇紀が使われているもので一番知られるのは、日本帝国海軍の戦闘機「ゼロ戦」2600年、ゼロ年に導入されている。皇紀が使われていると、昭和の軍国主義を感じさせられる。
丹那トンネルの開通には、多くの工員たちの犠牲があった。
地層調査もずさんに行い、ルート選定や工法の難しさから事故が多発。落盤や大量の湧き水の発生、工事中の地震発生で67名の工員たちが命を落としている。重傷者も600名を越えている。
丹那トンネル殉職碑
殉職者の中には、朝鮮半島からの労働者も多く含まれています。慰霊碑の横にハングルで書かれた紙が置かれていました。
訳してみました。
朝鮮の小学生が先生と一緒に書いたものの様です。
戦前に行われていた国家規模の工事には多くの朝鮮の人がたずさわったいました。日本の繁栄の礎に、彼らの力があったことを忘れてはいけません。
丹那神社
殉職の碑とともに、慰霊の意味もあり「丹那神社」が丹那トンネルの上に鎮座している。本当に小さいながらも地元の方々の手厚い整備が行き届いている。
1921(大正10)年4月1日に、最初の大規模な落盤事故が発生。33名が生き埋めとなり、17名がなんとか救出されるものの、16名が殉職者となりました。その魂を鎮めるためにできたのが丹那神社で、できた当初は「鐡道神社」と呼ばれていました。その後、現在の「丹那神社」に名前が変わった。
救命石
隣には、事故の時に、多くの工員たちの命を救ったという救命石も祀られている。
丹那神社の例祭は、4月第一日曜日に行われる。平成28年は、4月3日(日)午前10時より行われた。笛の演奏や鉄道模型展示などもあり、神輿は神社から出て熱海駅平和通りへ向かっている。2017年の4月第一日曜日は、1日になる。
例祭の開催が4月第一日曜日なのは、丹那トンネル工事の事故が4月1日に発生したことに由来している。
熱海水力発電所跡
1892年(明治25年)竣工された、日本で8番目に作られた発電所。稼働期間は9年と短かったものの、記念碑などが設置され史跡として管理されている。
発電された電気は、熱海市街地に送られて屋外電灯、熱海御用邸、相模屋・富士屋などの旅館に供給していた。
すぐ近くには、温泉がでている梅園の湯が
梅園の湯
が、しかし温泉は出ていませんでした。
蛇口を閉められているのでしょう。
飲める温泉「飲泉」です。
まとめ
東海道本線の輸送力強化のため作られた丹那トンネル。日本人だけでなく朝鮮の人の犠牲もはらいながらの一大事業だった。トンネルの入り口に皇紀年号が書かれているあたりが、時代を物語っています。このトンネルがなければ今の熱海の発展も絶対にありえません。熱海のお土産になる多くのお菓子に「丹那」の名前が付けられていることからも、熱海市民にとって大切な存在であることは確かです。次に東海道本線で丹那トンネルを通る時は、じっと目を閉じて先人たちの努力に感謝したいと思う。
私の好きな作家・吉村昭が丹那トンネルの難工事について書いていました。まだ、未読なのでこの機に読んでみたいと思う。
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